見出し画像

【綿町ダイアリー】#430 今日は綿町(わたまち)の由来について

連載日記『綿町ダイアリー』✏︎姫路市綿町でブライダルプロデュース「スウィートブライド」と「綿町カフェ」を運営しています。ウェディングプランナー&カフェマスターの二刀流の日々を綴ったエッセイです。

「姫路の町名」という本がある。

今日はその中より、
カフェのある綿町(わたまち)の由来を抜粋。

何度も言うけど「にしきまち」ではないよ。

綿町は、姫路市の中心部にあり、東行き国道二号の大手前通りから市民会館までの南側一帯の町筋。

慶長13年(1608年)姫路城の城下町町割り
(現在の都市計画)によって、外曲輪に成立した。

城下町特有の職業による町名で、江戸時代初期には口入れ屋(仕事の紹介業)や小道具を売る店が多かったので、小物屋町と呼ばれていたが、その後、綿問屋などが増えてきたので綿町と称するようになった。

家老の河合寸翁が、藩の財政改革のために行った諸政策の中の一つであるが、これまで大坂経由で出荷されていた木綿を、江戸へ直接出荷することに成功し、そのため売掛金の送付は、危険なので切手を発行して、切手と銀銭とを引き換えた。

文政3年(1820年)八月に、この藩札を取り扱う「姫路藩御切手会所」が設けられ、翌年には、綿の専売を取り扱った役所である「御国庭木綿会所」がおかれた。いわば経済の中心だったところで明治維新までその機能は続いていた。

現在この場所には廣島銀行姫路支店があり、会所跡の説明文が置かれている。

以上。姫路の町名より抜粋。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?