行動と認識:二つの領域の融合

行動と認識、これら二つの領域は一見対立するかもしれませんが、より深く探ると、その補完的な関係性が明らかになります。

あるYouTube動画では、幸福を「得たもの÷求めるもの」と表現しています。これは、行動と認識の両領域が、互いに幸福を追求する過程にどのように絡み合っているかを示す絶好の例です。

行動を通じて、私たちは「得たもの」を増やすことができます。それは物質的な報酬であったり、新たな経験や知識であったり、新しい関係性であったりします。行動によって直接的に「得たもの」を増やすことができるのです。

一方、認識を深めることで、私たちは「求めるもの」を精緻化し、取捨選択することができます。認識は私たちが世界を理解し、自分自身を理解する窓です。それによって、私たちは「求めるもの」をより具体的に理解し、不必要なものを削ぎ落とすことが可能となるのです。つまり、認識を深めることは、「求めるもの」を増やすのではなく、むしろ軽減する作業なのです。

これらのアプローチは、一見すると矛盾しているかもしれません。しかし、この二つの領域が融合するとき、真の幸福への道が開かれます。行動により「得たもの」を増やし、認識により「求めるもの」を軽減する。

『行動学入門』で三島由紀夫は、行動と待機の深い結びつきを示しています。彼によれば、強力な行動を引き出すためには待機の時間が不可欠で、この理論は坐禅や弓道など、さまざまな形で具現化されています。

坐禅は、外に湧き出る行動への衝動を押さえつけ、新たなエネルギーを蓄積する方法とも言えます。このエネルギーは「バネの力」であり、行動の瞬間に解放されるとき、強力で意義深い行動となるのです。

弓を引く行為もまた、待機と行動の関係を示す鮮明なメタファーです。弓を引く最中は考えず、静寂の中でエネルギーを蓄えます。これは阿波研造の教えであり、禅、すなわち待機の精神に深く根ざしています。

これらの事例から明らかなように、行動、認識、そして待機は、相互に関連し、補完し合う力となっています。

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