見出し画像

2022年3月11日

「記憶」って何でこんなにもろいのだろう。あらためてそう感じた日。

10日に富岡入りして、富岡産米日本酒の新酒試飲会。たくさんの方々に「萌」の開発秘話と魅力をたっぷりプレゼンしてきました。11日は朝は夜ノ森駅の清掃。それから「富あかり」の会場に移動して町の皆様と竹灯籠の設営。そしてあわただしく迎えた14時46分に黙祷。1分たったらすぐに作業に戻り、点灯、開場、撤収で21時すぎ。それから打ち上げ会場に移動してこれからの町のことを遅くまで語りたおす。

素晴らしい2日間でした。久しぶりに会えた人、新しく会えた人、全ての方々に感謝です。

でも帰り間際、ホテルで荷物を詰めている時に思いました。「あれ?」

セミの抜け殻みたいにスカスカな報道と、主語がやたらでかい建前の嵐から自分を切り離したくて、必ず一人で迎えていた日。メディアもネットも断って、ただ福島に立っていた日。去年は縁あってたくさんの町の方々とこの日を過ごすことにしましたが、それにしてもやっぱり、特別な日。

ちょっと今年は、雑だったかな。

確かに竹灯籠の設営は大変だった。新しく会えた方々は刺激的な人ばかりだった。日本酒はあいかわらず美味だった。とにかく楽しかった。

町に関われること、町の方々の中に身を置けることが日常になり、その日常のままこの日を迎えた今年。14時46分の迎え方、3月11日の迎え方としては、ちょっと今年は雑だったかな。

初期衝動を忘れたわけではない。朽ち果てた富岡駅を忘れたわけではない。傾いだ家屋とつぶれた自動車を覆い尽くすセイタカアワダチソウの荒野を忘れたわけではない。止まらない震えと滲み出る脂汗を忘れたわけではない。でもやっぱり、褪せてきている。

時間が記憶を押し流す、その強さ。

記憶が退色していく、その速さ。

数年前まで、2011年3月11日午後の東北沿岸は晴天だった、と記憶していました。はがれた屋根にしがみついたまま沖合に流されていく人と、そのか細い叫び声。それを包みこむ、満天の星空。そんな光景を想像しては、その絶望的な対比に震えていました。

実際は、小雪混じりの雨。当時の報道でもその後読んだ本でも全てそう伝えられていたのに、ものの見事に記憶違いをしていました。理由はたぶん簡単。それから福島で迎えた3月11日が、ぜんぶ晴天だったから。ぜんぶきれいな夕焼けだったから。

絶え間なく経験が上書きされていく、脆弱な媒体。記憶なんてたぶんそんなもの。

英語のrememberという語には「覚えている」「思い出す」という二つの意味があるのですが、昔はこれが不思議で不思議でなりませんでした。これ矛盾してるじゃん、と。でもよく考えたら当たり前ですよね。記憶をずっと「覚えている」ことなんてできないのだから。記憶は、忘れられるもの、変わるもの。ちょっと寂しいこのスタートラインに立たないと何も始まらない、という何年も前に気づいたこのスタートラインすら忘れかけていたのかもしれません。どこまでも記憶は、脆い。

だからこそ、想わなければならないのだろうなあ。記憶そのものに価値があるのではない。記憶を踏み台にして、何を想うか。

凪いだ海が突然盛り上がり、町を飲み込んだこと。潮風が吹き込む小さな駅舎がまるごと流されたこと。津波に揉まれて20メートルの高さの橋桁に背中をぶつけた人がいたこと。北の方角からすさまじい爆発音が聞こえたこと。一か月後の桜祭りまでには帰ってこれるよね、と思っていた人がいたこと。理不尽に故郷を奪われた人がたくさんいること。

全部知ってる。全部覚えてる。でも、想えていただろうか。

「想う」「感じる」って、受動的な心の営みに見えて、実のところはものすごく能動的な活動なのだと思います。与えられるものではなく、つかまえるもの。想おうとしなければ、想えない。では自分は、想おうとしていたか。空虚な数字と根拠のない相互監視に埋め尽くされる日々の中で、無意識にアンテナをたたんでしまっていたのかもしれません。いや周りが原因ではない。原因は、自分。

月曜日にまた富岡に行きます。インターン生対象の講演会です。こんなしわっしわの姿は見せられません。がんばらねば。

こんな気づきが得られるのも、町の方々町の風景町の営みが自分の中ですっかり日常になったからこそ。まずはそのことを素直に喜ばねばですね。これからも愉快なことたくさんしましょう

#とみおかアンバサダー

#富岡町

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?