見出し画像

二度と会うことは叶わないという壁の前に。

Sが亡くなったという報せを聞いたときは、一体何を言ってるのか分からなくて、亡くなったってどういうことなのか、数秒理解が追いつかなかった。

しかし、既に亡くなってから4ヶ月が過ぎており、葬儀も終わったと聞いて、Sはもうとっくのとうにこの世にはいなかったのだと悟った。同い歳の友人を亡くすのは初めてだったから、こんなに若いのに人は死んでしまうのかと驚いた。驚いたのと同時に、Sともう二度と会えないのがどういうことなのか、僕なりに考えて、Sの死を頭で消化しようとした。

親しいのに亡くなってから4ヶ月が経つまでSの死を知らなかったのは、彼の親族ができるだけSの話を身内に留めていたからで、僕より親しいSの友人もようやく最近知ったとのことだった。そしてその彼からSの話を昨日聞いた。考えてみれば、僕が日頃仲良くしている友人を、僕の家族は誰も知らない。仮に僕が亡くなっても、僕の家族は僕の友人にその事実を伝える術を持たない。だからこれだけ時間差があってもおかしくはなかった。

Sとは亡くなる1ヶ月前、つまり今から5ヶ月前に一緒にご飯に行ったばかりで、元気だったし、明るかった。それ以前も月に一度は会う仲だった。Sがどうして亡くなったのか理由は分からない。が、5ヶ月前の僕はSの顔に何か予兆があるとは、暗い影があったとは、とても気が付かなかった。

Sが亡くなったという事実が何を意味するのか、それが今の僕にとって最も真剣に考えるべきテーマであった。親しい友人を亡くすのはこれが初めてだったから。思い返せば、中学生の時に祖父を亡くして以来、身近な人が亡くなった場面に遭遇したことがなかった。その祖父も記憶にある中だと3回しか会ったことがなかったから、血の繋がっている祖父の死よりもSの死の方が、遥かに近くてリアルだった。

そう、例えば今、Sに連絡して、日程を合わせれば、来週にでも会うことができるというのと、連絡しても彼には届かない、なぜなら彼はこの世にいないから、という2つの事象の間には、どうしようもない壁があった。Sが亡くなった、という報せを聞いたことで、昨日までの世界と今日からの世界はすっかり変わってしまった。

昨日までは、意識はしなくてもどこか意識の奥ではSは同じ空気を吸ってこの地上に生きていて、会いに行こうと思えば、いつだってそうすることができる存在だった。既にSはいなかったけど、僕の頭の中ではまだ生きていて、存在していて、すぐ会いに行けるはずだった。しかし亡くなったという報せを聞いた瞬間、彼はいなくなってしまった。それも永遠に。

会おうと思っても会えない、連絡しても届かない、そこにいない、もう実体がない、亡くなった、というのは急すぎて、認めることができなくて、分からなかった。

Sとの思い出を思い出しても、涙が出るわけでも、笑顔がこぼれるわけでもない。ただ真顔のまま思い浮かべては、そうか、もう会話することもできないのか、と寂しさがつのるだけだった。

親しかった人が亡くなるというのは、これほど実感がないのかと、僕はひたすらに空気を見つめていた。

SのLINEを開く。そこには最後に交わした会話が残っている。一緒にランチをしたときの会話だった。「じゃ、またー」ありきたりな会話で終わっている。今僕が「やっほー。来週空いてる?ご飯行こう。」と送っても、僕のメッセージがSの目に触れることはない。

誰の目にも。永遠に。

僕の言葉はインターネットの海を彷徨い続けて、受け止められることなく宙に浮き続ける。僕にできることは本当に何もなくて、ただただ、この事実を受け止めるしかなかった。二度と会うことは叶わないという壁の前に、僕はただ立ち尽くすだけだった。

人間はたくさんいて、そのうち1人がいなくなっても、全体からしたら誤差でしかない。しかし近くにいる人、親しい人にとっては誤差ではない。彼がいた日と、いなくなった日とでは世界ががらっと変わってしまう。特に、思いがけない場合においては。唐突に飛び込むその訃報に備えることはできない。だから彼がいないという事実を自分なりに考えて、消化するしかない。身近な同世代を亡くしたのは初めてだったから、僕にとってはその事実を自分なりに受け止め、消化することは大いに意義のあることだった。

二度と会うことは叶わないという壁の前に、僕にできることは何もない。何もないが、何も生み出さなくても考えることはできる。考えて、文章にして、記録に残すことはできる。

Sが亡くなった事実が、僕に何かを教えてくれることはないし、その事実から教訓を見出すのも間違っている。Sが亡くなった、という事実があるだけで、そこにどんな意義を見出しても、後付けの都合の良い解釈でしかないから。だから僕はここで書くのを止める。これはSの死を受けて考えたことを書いた記録である。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。

今、僕がSに何かメッセージを送っても、そのメッセージはSの目にも、誰の目にも触れることはない。僕のメッセージはインターネットの海を彷徨い続ける。

誰に拾われることもなく、浮かび続ける。永遠に。

それでもSを忘れない。Sと交わした会話、思い出は、残っているから。例え形がなくても。だからそれを忘れない。忘れないこと、今の状態を維持すること、脚色を加えず覚えていること、それだけが今の僕にできる最善のことなのかも知れない。


それでは、また明日も、良き1日を。


最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!