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お金に真正面から向き合うことは不謹慎でも何でもない

こちらのツイートが大きな反響を呼んでいました。

「私もそう思う」「こんなときに株価気にしするなんてあり得ない」「モラルがない」等々、このツイートに大して共感を示す反応がたくさん寄せられていました。

一方で私は全く賛同できませんでした。なぜならお金に真正面から向き合うことは、全くもって不謹慎なことでも何でもないからです。


レシピ動画サービス「クラシル」を運営するdelyの堀江氏は東日本大震災がきっかけで起業を志しました。大学受験の前日に襲った東日本大震災。「自分にもできることがある」と、すぐに宮城県石巻市へボランティアに堀江氏は廃墟と化した被災地でひたすら瓦礫の撤去作業を行いました。しかしいくら働いてもちっともなくならない瓦礫の山を前に、堀江氏は無力感に打ちひしがれました。

そんなとき、堀江氏は衝撃的なニュースを目にします。2011年4月初旬、当時のソフトバンク社長の孫正義が震災の義援金として100億円を寄付するといういうのです。「孫さんってすごいな」と、堀江氏は素直に感じました。

「こんなに影響力を持てる職業があるのか、と。プロスポーツ選手でも歌手でもなく、ビジネスマンとしてこんなことができる。大きな事業を作って大きな力をいい方向に使うことができるのではないか。」

起業してビジネスを大きくすれば、社会をよりよく変えることができるんじゃないか。こうして堀江氏は起業し、様々な試行錯誤を繰り返したのち、クラシルが誕生しました。

私が共感したのは、ビジネスを大きくすれば社会を変えられるのではないか、と堀江氏が考えたところです。端的に言えば、一個人が手を動かしてもできることには限界がある。ドカンと金を稼いで正しい方法で使う方が、効率よく社会を良くすることができる、ということです。極めてシンプルで本質的なことだと私は考えました。

お金がなければ社会を変えることはできない。そう聞くとあまりに目的語が大きくて実感が湧きませんが、では自分自身に置き換えて考えてみましょう。お金がないと、自分自身を変えることはできない。例えば、お金がないと快適な家に住めません。お金がないと大切な友達とおいしいご飯を食べることも旅行に行くこともできません。本を買うことも、映画を見ることもできません。お金は全てではありませんが、全てにお金が必要なのです。そして自分のことも満足に満たせない人間に、他人を幸せにすることなんてできるはずがありません。私がこう断言するのは、自分自身お金に悩み周りが見えなくなっていた時期があったからです。

20歳の私は奨学金の手続きミスで、急遽自分で学費を工面しなくてはならなくなりました。完全な私のミスで自己責任でしたが、きっと親がどうにかしてくれるだろうと甘く見ていました。答えはNO。親に土下座してどうにかお金を貸してもらうようお願いをしましたが、1円たりとも貸してくれませんでした。あの時期は一番心が荒んでいたと思います。幸せそうな顔をしている人間、全てが妬ましかった。あいつらは俺と違ってお金に困らず楽しく生活している。俺は誰よりも頑張っているはずなのに、なんでこんな惨めな思いをしなくてはいけないんだ。バイトのシフトも増やし、友達とのご飯も旅行も全部断り、毎日お金に真剣に向き合いました。どうにかApple製品の転売などで2ヶ月で50万円を用意し、大学を辞める最悪の結末は避けられたのですが私の心はすっかり色が変わりました。

「お金がないと幸せにはなれない」

あのとき、痛烈に、実体験として感じたこと、それが今の私の原動力になっています。お金がないと、自分を幸せにすることすらできません。自分を満たせない人間に、他人の幸せを願う余裕なんてありません。少なくとも私はそれができるほど人格ができてはいません。

つまり、私は自分が豊かになって初めて周りに良い影響を及ぼせると考えています。自分が豊かになるために、たとえ戦争が起きようと株価を確認することが悪だとは思いません。騒乱で生じた歪みを利用し、豊かになろうとすることは全く悪ではありません。むしろ資本主義社会=お金増やしゲームを攻略するための基本中の基本だと私は思います。

寄付をするにしてもお金が必要です。物資を送るにしてもお金が必要です。時給1,000円でアルバイトをしている人に、異国の誰かのためにお金を送る余裕があるのでしょうか?額の問題じゃない、心の問題だろ?果たしてそうでしょうか?汗水垂らして稼いだ1万円と、投資で稼いだ100万円、どちらにより価値があるのでしょうか?私は後者だと思います。

1万円より100万円の方がたくさんのことができます。より多くの物資を買うことができます。1万円より100万円の方ができることが多い、すなわち1万円より100万円の方が価値があり、どう稼いだかは関係ないのです。私はこの論理が誤っているとは思いません。

冷徹だ、お前には人の心がない、と思いますか?私はそうは思いません。常に客観的に数字で物事を見ること、それが経済的自由を得るための第一歩です。思いやりがあれば誰かを助けることができる、そんな道徳が通用するのは高校生までです。私自身、昔はそうでした。頭を下げればお金を貸してくれるだろう、誰かが助けてくれるだろう。全部違いました。20歳の私は、あのとき初めて自分は既に自己責任の世界に放り出されていることを知りました。自分の幸せは自分で勝ち取る、自分が満たされて初めて誰かの幸せを願うことができる。だからまず、自分が豊かにならなくてはならない。これが真理だと私は思うのです。

お金に真正面から向き合うことは、恥ずべきことじゃない。お金を稼ぐ姿勢をなんでもかんでも揶揄する悪しき文化から、さっさと抜け出すべきだとずっと思っています。お金に真正面から向き合おう、経済的自由を手に入れよう。それが結果的に誰かを助けるための最短経路になると私は信じています。


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最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!