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書道において他人との比較は不幸ではない。

先日、Twitter上で『他人と比較してもいい事ない』『比較は不幸の始まり』という旨のつぶやきを見かけた。

その人にとってはそうなのかもしれないが、自分にとってはそれは間違いだと考えております。

自分は書道において、よく他の書道家(自称書道家ではなく、書壇に属していて、教室運営もしている書道家)と自分のことを比較する。

『この人は今回の展覧会でこんなすごい作品を書いていた。それに比べて俺は何だ??どこかで現状に満足して普段通りの作品をかいていたのではないか?情けない!!もっと書かなくては!!』

『この人の教室はとても流行っていて、生徒さんも大勢いるようだ!きっと素晴らしい指導なのだろうし、効率のいい教室運営をしていて親御さんからの信頼も厚いのだろう。。。それに比べて俺は何だ??この体たらくは!!もっと書道の楽しさをわかりやすく伝えるにはどうしたらいいのか、真剣に考えろ!!生徒さんがスムーズに稽古から添削に、集中して打ち込めるような教室の流れを考えろ!考えてもわからないなら、いろいろな展覧会に行って、知り合いの教室に見学に行って学んで来い!!何してんだ!!』と自分に苛立ち、考え、行動に移す。

教室運営については若いころに周りと比べてのんびりしていて、『このままじゃいけない!』と強く思って何度も何度も教室の運営方法を考えては直しを繰り返した!しっかりと書道の魅力を伝えている教室の先生と自分の教室は何が違うのか??しっかりと比較して、自分にできること、自分がしたいことを考えて考えて、やっと今の湘南書道会の在り方がある。もちろんまだ完成ではないし、もっと良い教室にするために今も試行錯誤しているし、今後も続けていく。

根っこにある稽古の重要性、努力した後の達成感が成長につながる。古典に基づいた責任感のある文字を書けるようになる!という部分は変わらないが!


書道家として、作品制作においても自分は他人と比較することで成長してきた!

同世代の作家、、、ここでは仮にS君とするが、S君がすごい柔らかく、温かみのある作品で素晴らしい受賞に輝いた!!同い年の自分はおめでとうと思う気持ちもあったが、『おぉS君!すげぇかっこいい作品書いているじゃないか!!負けてられない!!俺も稽古していい作品書かなきゃ』と思って稽古したし。。。

夜遅くて眠いときも、『今俺が寝ようとしている瞬間もS君は書いているかもしれないし、研究しているかもしれない、、、よし、もう一時間は俺も書こう!!』ということが実際にあって、このようなことが自分を書き手としても成長させてくれたことは間違いない!!


よく自分を超えろ!というような旨の発言も耳にするし、Twitter上でも見かけることがありますが、、、それで成長できると思っている人は勝手にしたらいい。

でも俺はS君というすごい書き手を勝手にライバルと思って稽古した!S君以外にもいろんな先生のことを思った!

A先生はもっと柔らかく近代詩を書いていた!!俺の作品はまだまだ固い!もっと稽古だ!!!

T先生の多字数作品は最高にかっこいい!!俺のはまだまだ書いているだけって感じだ、、、まだまだ題材選びの研究が足りない!!

関西のF先輩はいい漢字作品書いていた!いつか関西を代表する作家になる!俺ももっと良い作品書いて、F先輩を肩を並べられるようにならなきゃ!!

たくさんの周りの先生や同学年の書き手の存在が自分を成長させてくれた!他人と自分を比較することを俺は不幸を感じたことはない!

自分の周りにはこんなすごい書き手がいる!俺も負けないように頑張ろう!!と思った!他人と比較して自分にダメな部分が見つかったとしても成長への材料になるし、いくらでも頑張れる!!



と自分はこんな風に考えていました。

なんでも競争、競争では疲れてしまいますが、書道においてはライバルが成長させてくれることもあります!!


・・・まぁ技術的な成長なんて必要ないというような人には関係ない話かもしれませんが。




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