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自立とは一部の特定の人からの依存を多くの人からの依存に変えること(YOASOBI KT Zepp 横浜 "POP OUT"より。

本日はテイラースイフトに対抗して(してないです)、YOASOBIのKT Zepp 横浜。3D映像もすごかったですし(3Dは写真撮影不可)、Zepp大阪ベイサイドよりコンパクトで二階席でもステージが近くていくらちゃんの熱唱を本当に近くで聞けた感じです。しかもピアアリーナでセトリ落ちだった「優しい彗星」と「ハルジオン」、(「ツバメ」も)歌ってくれて😭。この二曲はアメリカのドライブで聴いていて、家族の楽しい思い出が凝縮されてるんですよね。自分にとってベストの曲をライブで聴くとホント日常の鬱憤が全部解放される感じですね。ホント推しのライブって最高です。

そのライブのMCでAyase さんが、自立とは一部の特定の人からの依存を多くの人からの依存に変えることって、いいこと言うなあと思ってこちらに。さらにすごいのは、すでに記事は削除されているんですが、実はこれ、脳性麻痺の障害を持つ熊谷晋一郎東大教授が、ハンディキャップを持つ人について述べたことと同じなんですよね。これはすごい。

以下記事がないので、facebookから熊谷晋一郎先生の記事の引用を。

「一人暮らしを始めて、まず困ったのはトイレでした。最初はなにも手を加えていないトイレで、介助してくれる人もいなくて、失禁してしまった。でも、こう体 を動かしたらうまくいくんじゃないかとか、ここに手すりを付けたら使えるんじゃないかとか、試行錯誤していくのは楽しい実験でしたね。私も物に合せて動き を変えるし、物も私に合せて形を変える。どちらかが一方的に譲歩するんじゃなくて、物と私が「互いに歩み寄る」。一人暮らしの体験は、生まれて初めて世界 と直接交渉することができた、そんなわくわくする感じがしました。それまでは世界と私の間には、いつも親が挟まっていて、「向こう側がよく見えない、じ れったい!」みたいな感じでしたからね。」

他にも参考できるところがたくさんあるのですが、以下の指摘も説得力があります。何となく、自立支援法に関して、情報提供の役割がメリットだが、それ以上にぎちぎちしすぎていて、桎梏になっているというところ。いつも感じていることですが、日本の制度のフレキシビリティーが足りないことが、ここでも指摘されています。問題は、単なる情報提供でもまずいので、その折り合いをどう付けるかでしょう。

「昔に比べて障害者の介助の現場は「メニューが増えた」と思います。以前は制度自体がなく、生活を組み立てるときには限られた人・ものを活用しながら、なんとか手作業で作り上げていく感じでしたね。それに比べると、自立支援法成立以後はそういったことが自動化して、制度に乗ってさえしまえば介助者を見つけるのには苦労しなくなりました。

何でもカテゴリー化して制度を作っていくだけでは、制度に乗りきらない人たちが永遠に生み出され続けていくことになります。首尾よく乗れた人も窮屈に感じるんじゃないでしょうか。メニューがそろって自己選択できるのだけど、いったん選択するとそれに従わざるを得なくなるような圧迫感があります。障害者の自立生活運動では「施設から地域へ」がスローガンだったのに、窮屈な施設から飛び出した先の地域が“ 施設化”していた、という感じです。

 一言で言うなら「揺らぎが無くなった」「揺らげなくなった」ということでしょうか。そしてそれは、世の中全体に着実に浸透しているような気がします。ガチガチに固定されているシステムは、揺らぐことができる「余白」、その場の状況に応じた選択・決定を可能にする余地や余裕がないために、リスクが高く、効率も悪いものです。「揺らぎ」がなくてはイノベーションも起きません。こういった「揺らぎ」や「遊び」という要素をどう維持していくかというのが、今後世の中のことを考えていく上での重要な課題になっていくだろうと思います。」

これはもっと伝えたい。そして依存しすぎて悲劇になったのが推しの子って話から、後半の一曲目のアイドルに繋がっていきます👏

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