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1991年の湾岸戦争中の卒業旅行

植田先生の日銀総裁の国会承認も無事行われ、立憲民主党まで賛成になったのは個人的には非常に立憲民主党の好感度がアップしました。改めていろいろ思い出されて、卒業旅行に行った時、フランスでワインを買ったエピソードを思い出し、ついでに卒業旅行全部をまとめたくなっていかにまとめます。湾岸戦争中の貴重な体験でした。コロナ禍の旅行も本当に気にかけなかったのですが、そういう気持ちのルーツなのかなあと思います。

卒業旅行は91年2−3月でまさに湾岸戦争の真っ最中。それで行きのBAはガラガラ、最初ロンドンに入って、ウインザーや英国博物館に行き、偶然大学の同期にあったので二人で色々回り、人生最悪のイギリス料理の洗練を浴びました。百歩譲って〇〇○匂いのビーフシチューでした。

あと別の友人と合流しようとしたら当時はまだ活動していたIRAが湾岸戦争に乗じて駅でテロを起こしたんですよ。それで地下鉄のダイアが乱れて会えなかったりと言う感じでした。でも当時の米国に比べて欧州やっぱり安全だったので、友人に手紙で、「昨日駅でテロがあったんですが、それ以外は至って安全です」って書いたら、帰国後に「どこが安全やねん」って言われましたw。

その後アテネに飛行機で行って、さらに飛行機でローマに入り、あとは自由行動で2週間後にパリからロンドン経由で帰国というルートだったんですが、アテネは予約してたエーゲ海クルーズが嵐でキャンセル。その代わりにパルテノン神殿でぼーっとしてました。当時は搭乗の数日前に登場の再確認をしないといけないというむっちゃめんどくさいreconfirmと言う手続きがあって、空港に再入場してreconfirmしようとしたら、湾岸戦争中のテロ警戒で、ライフル持ったおっちゃんが寄ってきたのを覚えてます。パキスタンだとショットガンになるんですが、それ気にしないのはその経験があるからかなあと。

ローマに行ったら、それまで旅で知り合った日本人の人たちにこう言う白タクがいるから気をつけろって散々言われたんですがすが、にもかかわらず引っかかってしまい、八千円ほど取られ、ローマでの食事代ほぼなし。ということで、2日間は2リットルのファンタオレンジを2本飲みながら生活してました。トレビの泉にコイン投げようと思ったら修理中でできなかったのもショック。しかも2回ほどジプシーに囲まれて物を取られそうになったという。。。

と、思い出したら割と色々ありますね。散々のようですが、それでもその後はむしろいいことが多かったです。先ずローマの宿は駅の近くの安宿だったんですが、おばちゃんがすごくいい人でちょっと安心。お金もないので歩いてバチカンに行ったら、ミケランジェロの壁画も含めてサン・ピエトロ寺院に衝撃。またスペイン広場はちゃんと確認してアイスクリーム食べました。一緒になった日本人が男ばっかりだったんですが。

また数々の遺跡にも感動した記憶があると女性見たらイタリア人必ずナンパしてたので、そう言う噂は本当だったと言うことがわかったw。

そのあとペンドリーノ(イタリアのTGV)でフィレンツェへ。ユーレイルパスの一等を買っていたら、朝食が付いていてびっくり。さらにびっくりしたのは、菓子パンにチョコレートにジャムに、はちみつに。甘いクッキーにフルーツに甘いヨーグルトにオレンジジュース。なんじゃこりゃでした。こんなにスイーツばっかりにしないでもいいのにとwww

湾岸戦争中で一番有り難かったのは観光客がコロナ禍並みに少なかったことです。一昨年のモニュメントバレーもグランドキャニオンもヨセミテもがらがらでしたが、それ並みに人がいなくて、ウフィツィを超堪能できました。その時欧州で見た絵画でいちばんの衝撃がオルセーで見たゴッホの教会。その次がウフィツィのプリマヴェーラとビーナス誕生でした。2008年に美大卒の妻と再度ウフィツィに行って、ダヴィンチの初期の作品を教えてもらい、それも感動してたんですが、当時はこの二つが忘れられなかったです。先日プリマヴェーラのレプリカを発見。2008年もすごい人で入場に1時間待ちくらいでしたが、1991年はほんと人がいなくてゆっくり見られました。ベッキオ橋もあんなに有名だとは知らずにボーッと渡ってました。

ローマからパリまではユーレイルパスの一等を買って電車でウイーン、ザルツブルク、ミュンヘン、ベルリン、ハンブルクやブレーメンを経由してパリへ。当時はピサもベネチアもいかず。ミラノもトリノもいかず、そしてフィレンツェから夜行でウイーンへ。ユーレイルパスでも寝台は別料金ですが、一等のクシェっとは無料だったので、クシェっとでウイーンへ。ただベネチアスルーは勿体無かったなあと。一等なのに異様に寒いと思ったら、アルプス超えなのに暖房が故障ですって。2頭へ移れと言われて、一等用買った意味ないじゃん🤣

ウイーンではマイアミで友人になった兄弟にご挨拶、いろいろ連れて行ってもらいました。特に弟が地元のアイスホッケーチームのキーパーをしていて、当時自分が応援するチームが10連敗中だったんですが、黙って応援してたら、やっぱり負けてしまう。

そしてその当時の最大の目的の国立オペラ劇場でのオペラ、その時は魔笛を鑑賞。ベルディの椿姫見逃したのは痛いです🤣
学友会ホールも行って、いちばん奥の立ち見席でも堪能しました。しかしなんと指揮者のアーノンクール(この前亡くなったんでしたっけ?)が体調不良で来ず!!!バイオリン協奏曲をクレーメルがほとんど音頭を取りながら演奏してました。その当時からクレーメル最高。

ウイーンからザルツブルグに行ったんですが、プラハはスルー。2006年に妻と行ったときに両方寄って、やっぱりプラハの方が良かったなあと。そしてミュンヘン経由でドレスデンに。まだまだ空襲の跡がのこっていました。旅の大きなテーマが音楽鑑賞と美術館巡り、そして鉄ちゃんですね。特に食堂車は割と利用しました。でも旧東ドイツ、英語全然通じず、ドイツ語第二外国語で勉強したはずなのに全然出来ず。ステーキだけわかったので注文したら、塩みたいなしょっぱいステーキが出てきました。旧東ドイツの電車では人の良さそうなコックさんが働いてたので、あまり苦情も言えず。

ベルリンに到着したら3月だとほとんどベルリンの壁は無くなっていて、ブランデンブルク門の次の旧東ベルリンの駅から誰もいないブランデンブルク門を普通に歩いて西側に入って行きました。ベルリンフィルは当時もチケットが全然取れなくて、断念。しかもベルリン行ったのにサンスーシー宮殿行かなかったんですよ。グリーンシロップ入りのビール飲んだ記憶しかないという…なんじゃそれです。一応観光スポットは押さえていて、例えばウイーンでシェーンブルン宮殿には行きました。あそこあんまり感動しないんですよね。逆にベルサイユ宮殿は何度行っても感動するんですが。

ブレーメンの音楽隊とハンバーグステーキのルーツを探りたくて、なんとロマンチック街道完全スルーで両方寄ってハンバーグ食べて寝台でパリへ。ベルギーやオランダもスルー🤣🤣🤣。

そしてパリに。当然、ルーブル、オルセー、オランジェリーと行って、当時ハマっていた印象派、特にオランジェリーの地下でモネの睡蓮をぼーっと2時間くらい見てました。その時の経験から、博物館や美術館に行くと、いいなと思った絵や彫刻に絞ってずーっと見てると言うやり方をいまだに続けています。モナリザも感激でしたが、どっちかと言うと直に見られたロゼッタストーンの方が当時は感動した気が。いまだにロンドンへ行くと必ずロゼッタストーンだけは見に行きますw。むしろセザンヌやルノアールの方が気に入ってました。あと、ベルサイユ宮殿のドラクロアの絵も。

ベルサイユ宮殿は広いのに衝撃。特に庭の運河が日本人の想像を超えてました。あの雄大さに感激して結構何度も行きました。鏡の間もトリアノンも含めて、ベルサイユ宮殿は好きで、5回くらい行ったかなあ。それでも2006年に行ったアルハンブラ宮殿が人生ベストです。大きさと言えば台湾の蒋介石廟の大きさも同じような印象です。

ガルニエも行ったんですが、当時すでにオペラはほとんどしなくなってたんですが、ハイドンのチェロ協奏曲を演奏していて、感動。それ以来ハイドンのファンです。

宿泊はほとんどユースホステルを使いました。大体日本人がルームメイトで一緒になるので、そこで情報交換しながらという感じです。ユースホステルメインでほとんど食事にお金かけなかけず、レストランで食べたのが3回くらい。ベルサイユ宮殿の前でバンで売っていた本当にベーコンをバケットに挟んだだけのサンドイッチが当時400円くらいして高いなあと思ったんですが、無茶苦茶美味しかったです。あ、オーストリア人の友達には数回奢ってもらいました。

そして、レストランは本当に行かず、ローマで一回。「check please 」って言ったら、「Okanjo (お勘定)」って言われたw。ハンブルクでハンバーグ発祥の店と地球の歩き方で書いてあったハンバーグステーキの店。量は多かったけど、京都ホテルで食べたハンバーグの方が当時美味しかったですw。そして、エッフェル塔の中のレストラン。チキンの一番安いコースで8000円は大学生にキツかったですが、生まれて初めてのフレンチがまさに本場だったのがよかったです。それがフランス料理の自分の基準になって、日本で一番近かったのが、丸の内ホテルで修行してたシェフが小石川で営業してた洋食屋という店。90年代は毎週行ってたんですが、今は後楽園のラクーアの近くに移って、今は5年に1度くらい。本場のバターのインパクトが一番近い感じです。

また、バブル期でインターネットも携帯もなし。なのでバブルが良かったと言うのには全否定するんですが、しょうがなく地球の歩き方とキャプテンクックの時刻表を持って行き、連絡はその場その場で手紙を日本に書きました。2番目に受けたのがロンドンのテロのネタなんですが、一番はですね。実はフィレンツェで見たダビデ像も衝撃で、その感動のまま絵葉書を買って、日本に送ったんです。でも感動しすぎて何も考えずに、経済学部のOB会の経友会、当時学生部のお手伝いをしていてお世話になった経友会の事務のお姉様三人の職場(三人とも未婚)、に何故か送ってしまったという.…。帰ってから散々非難轟々でした。いまならBLで絶賛されそうですけど。

と長々と書いてきたんですが、お世話になった植田先生にお土産にワインを買って行こうとおもったら、ユースホステルのルームメイトにソムリエの修行をしている人がいて、おすすめのリストを教えてもらい、ブルゴーニュワインの本場のディジョンに行って買ってきました。実はこのコートオスピス°ボーヌという病院が薬用に作っているワインが有名と言うことでそちらを買おうと思ったら、高すぎてやめました。お手軽なのは売り切れって言われたし。それでその次のものを買って行ったわけです。ワイン買ったと言う話で卒業旅行のことを思い出したので、こちらに。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/wine/latour/hospices.html

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