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きみの色

昨日は3人で12時に集まり、19時過ぎまで5軒飲み屋をハシゴした。お腹もパンパン、ビールもこれ以上は喉を通らないほど飲んで、さっき起きた重い体でノソノソと洗濯機を回し、バーガーキングの期間限定のパインが載ったバーガーを食べた。

5軒も回ってフラフラと一度帰ったのだけど、まだ20時だと言うので隣駅に映画を見にいくことにした。寝ようかと思ってTwitterを開いたら「きみの色」という映画が前日公開されており素晴らしいとインターネットが言う。イメージビジュアルにリッケンバッカーを持って歌う女の子が描かれており、調べると20分後に上映される回がある。そのまま家を出て電車に乗り込み、車内でチケットを予約し土砂降りの道中は人をかき分けて映画館に直行した。

なんの映画で誰の創作なのかわからないままガラガラの席に座った。席は選べるのなら適度に前の方が良い。画面をいちどに捉えきれないような、包まれるような環境で映画は見たいのだが、あまりそういう志向の意見は聞かない。
酔っているためか上映前の予告もあっという間に終わり、本編がはじまった。

すっと気持ちが軽くなる、重たい感情を忘れさせてくれるような青春物語だった。リッケンバッカーを持った女の子は最後にロックンロールしていたけど、ごく自然に、そして日常的な文脈で誰にでも起こりうるロックンロールを鳴らしていた。多くの人がこの物語に入り込み、自然にあの文化祭のステージに立ち、自分がその瞬間「わたし」として世の中と対峙する感覚を味わうと思う。ギター(もしくはテルミン)を練習し自分が出会った人と一緒に作った曲を鳴らすのは特別だけど、日常的にあり得ることなのだ。実際、演奏された曲も演奏も素晴らしすぎるので、誰しもがあんな演奏や編曲ができるわけではないし、素晴らしいパフォーマンスをするからこそロックンロールなのだけど、その奇跡のような一度きりの公演をこの映画は観せてくれました。

登場人物のみんなが優しくて、だからこそ各々で悩んでいる。あんまり困っているような感じではないけど、このままではいけないと思っている。大人でも子供でも、一人ではその悩みは解決できないものなのだけど、町はずれの古本屋の、西日の差す窓際で、本当の気持ちはこうなんだって打ち明け合うような生活の転換点がいくつも描かれていました。

アニメーションの色彩やシーンの撮り方も素晴らしく、特に淡々とした表情の多いキャラクターが多い中で主人公の女の子はコロコロと表情を変えて鮮やかに生きている。友達もいるし、家族もいる、彼女も別に何も困ってはいなそうなんだけど、自分の色が見えないという悩みがある。その悩みを解決しないと、自分が次に進めないような、そういう悩み。それが音楽を自分で作る、友達と作る、それをみんなで発表するという行為を通じて、それが楽しくて嬉しくてウキウキして、今一瞬ふと自分の色が見えたような気がした、、そんな物語なんですよね。

8/11に単独実演会「中井設計展-FOOTPRINT-」を行いました。
これは全体の一部を切り取った一つのシーンなのだ、という新しいコンセプトの曲たちを演りました。フレームの外側には同じように曲は広がっているかもしれないけど、表情は少しずつ違うかもねというもの。音源にするときはどうしようかなぁと思案中です。こういった考えもまた、生活に直結する悩みではないが解決しないと次に進めない自分の頭と心の大半を埋めている課題なのです。

9月になり、雨が降ったり止んだり。
先日新しいギターを買いました。
インターネットでアウトレット価格になっているのを偶然見かけて、閉店10分前に駆け込んでこれ弾かせてくださいと指さしました。見た目で気に入ったのですが「この音が欲しかったんや!」という音が鳴りまして、興奮しましたね。見た目も可愛いし音も好みだし、安い。安い上に割引されている。ピックアップセレクター切り替え時にノイズが若干乗りますねぇとかぶつぶつイチャモンをつけながらすぐ買いました。閉店7分前くらい。その日も大雨で、もろもろの諸手続きと雨よけの梱包を丁寧にしていただきウキウキで帰りました。無愛想だけど優しい店員さん、残業させてしまい申し訳ない。

こうやって期限ギリギリにガッとやる、みたいに生きてきたので、成長がないですね。

写真は逗子の海。

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