見出し画像

東京ドームに行けなくて

渋谷公会堂で観ました。
これ以上ない最高の4時間だった。
これまでラジオを聴いてきた全ての時間と全ての自分が肯定された。ぼくらは彼らの一部始終を聴いてきたし、同じ時間を生きてきた。エッセイが出たら泣きながら読んだし、レギュラーが決まったら毎週TVerで観た。TVerが無い時代からラジオを聴いていたし、レギュラー番組が流れたのはTVerが生まれてからだ。バラエティに出演する彼らのことはあまり観たことはないけれど、その都度起きた特異な出来事はラジオのトークで知っている。彼らのことは目の当たりにしたこともないし、知ってるなんて言えないけど、でもぼくらは彼らを、知っている。それくらい、話してくれていると信じている。

何がこんなにも感動するのか全く言葉にできない。もともと言語化が苦手なのだけど、それにしても難しい。これまで自分が積み重ねた時間と人生と、彼らの持つ力とコツコツ築き上げた道が圧倒的に笑いに変換されて渦を巻いていた。笑って笑って手を叩いて、想像もしない展開にみんなで声を上げて驚き、歌とラップにカラダを揺らした。まさかのプロレスに手に汗握った。かがやいていた、たくさんの演出が滞りなく進んだ。愛を伴った入念な準備がされたのだと思う。わたしは進行する1時間の会議でさえケチがつくというのに。

わたしは上手く生きようとしているな、と思った。そんな気はもちろんしていたが、それを認めたくなかった。貧乏なフリをして最弱のマシンを選びながらも、スタートダッシュやアイテム、近道抜け道裏技を駆使して軽々とゴールしよう、それがカッコいい、我ながらそれもまぁ言い過ぎのような気もするがそれに近い考えで生きている。もっとミクロなわたしの日常にフォーカスすれば、壁なり人なりにぶつかりまくりながら、四肢をキズだらけにしてズンズンと生きているのがわかってもらえると思うが、大きな方針としてわたしは上手く生きようとしている。その結果なんだか上手くいっていない。いくつも歯の欠けた大小の歯車がお互いに空回りしているみたいだ。一方で、社会の歯車にははまりそうな歯車を持っていた。ぎこちないが、ちょっとはマシ。でもなんだか不自然だ。気持ちが悪い。居心地はいいが、全力を出せていない感じがしてかっこ悪い。内部の歯車さえ上手く噛み合えばきっといいのに。

若さんはどう考えたってその真逆だ。美しい。絶対にコレなんだ、という魂を感じる。
漫才を信じてやってきて良かった、そう言っていた。そんなシンプルな言葉に、ぼくらは一本のストーリーを様々に連想して、思い出して、ぐっと胸を熱くさせた。夢を叶えたすごいとかそういうことではなくて、このままじゃダメなんだけどな、ってイライラしながらずっとキャッチボールをやめなかった、上手くいかなくてイライラしながらも遥か遠くに向かうことをやめなかった。社会と歯車が合わなくても、自分の中の歯車はガッチリ噛み合ってギシギシ音を立てながら全力で回転している。そんな話をずっとずっと聴いてきたんだぼくらは。いつの間にかその先に16万人が一同に会するような日が生まれた!こうやって生きよう。目を背けず、逃げない、やめない、離さない。自分の都合に合わせた生き方をしない。

楽しかったなぁ。
心の底から楽しかった。
自分の人生との時間が乗っかっている分、ズシっとずっしり詰め込まれた笑いがドーンと胸に響いた。おもしろかった!高一からずっとおもしろかったんだ!

みんなでまた、やりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?