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仮面的世界【12】

【12】予備的考察─仮面的世界の基本構図

 旧仮面考の‘振り返り’を通じて、声・顔・身・記号の「仮面四態」が浮かび上がってきました。ここで、天下り式に、これら四つの項について定義めいた規定を与えておきたいと思います。(第4項が、旧仮面考で予告していた「名=徴」ではなく端的に「記号」となっているのは、ここで言う「記号」が名=徴を超えた「メタフィジカル=メタフォリカル」な次元に棲息するものだから。)

1. 声 =仮面 「知覚」と「物自体」の‘あわい’(通路)
2. 顔 =仮面 「想起」と「過去自体」の‘あわい’(媒質)
3. 身 =仮面 「ここ here」と「よそ there」の‘あわい’(境界)
4. 記号=仮面 「おもて」と「うら」の‘あわい’(媒体)

 簡単に説明します。
 第1項は、仮面の基本的機能に着目しています。もっともプリミティブな現象に即して言えは、仮面とは、遮蔽物に穿たれた穴、裂け目を通して、あちら側(区画された別空間、化外・人外の地、死の界域、物自体の世界、等々)から聞こえてくる「声」であること、その意味で、仮面とは楽器にほかならないことを念頭においています。というか、そのような「空間性」において、まず私は仮面を捉えたということです。

 第2項について言えば、「顔」という遮蔽物もしくは感情のスクリーンに穿たれた(声の通路とは別のもう一つの、いや二つの)切れ目(両目)から覗き覗かれる、物語性を帯びた対他関係の「時間性」に着目して、仮面の形態そのものが孕んでいる、インメモリアルな時間と地(時)続きの媒質性をイメージしています。

 第3項は、声と顔(目)を伴った仮面が、見えるものと見えないもの、語りうるものと語りえないもの、「個的なもの=確定的なもの」(「世界と思考のアトム的な構成要素」)と「個的なもの=非確定的なもの」(「汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在を分有するもの」)との境界にあって、「物質的な死」(マテリアルな界域)と「言語的な生」(メタフォリカルな界域)を媒介する、演劇的な「場」を設えるものであることを想定しています。(「個的なもの」をめぐる二項は、西洋中世哲学における「唯名論(ノミナリスムス)」と「実在論(レアリスムス)」の対立に関する坂部恵の議論を援用している[*]。)

 言葉が朦朧としてきました。夢現のまま、先走ったことを書いています。
 第4項の「おもて」と「うら」は、言うまでもなく、第4節で引いた『仮面の解釈学』所収の「〈おもて〉の境位」や、同書刊行の後に発表され『鏡のなかの日本語』に収録された「日本文化における仮面と影──日本の思考の潜在的存在論」などの坂部恵の論考を踏まえたものなのですが、私にはまだ、これらの概念を「確定的なもの」として‘駆使’するだけの準備ができていません。ですから、ここでは、これ以上の先走りを自粛します。

 最後に、以上の四つの項を、(「韻律的世界」の基本構図と対応させながら)図示し、今後の議論のための見取り図を作成しておきたいと思います。

     [メタフォリカルな界域]
         【記号】
          ┃
          ┃
      想 起 ┃ 知 覚
          ┃
          ┃
 【顔】━━━━━━╋━━━━━━【声】
          ┃
    (過去自体)┃(物自体)
          ┃
         【身】
      [マテリアルな界域]

[*]坂部恵は『ヨーロッパ精神史入門──カロリング・ルネサンスの残光』の第七講「レアリスムのたそがれ」で、「定まらないもの」(the unsettled)を原初の状態と見るスコラ的実在論の側に真実があるとするC.S.パース(「形而上学ノート」)の議論を取り上げ、次のように書いている。

《さて、このように見てくると、一四世紀の哲学のメイン・イシューである、「実在論」と「唯名論」との対立は、通常そう理解されるように、個と普遍のプライオリティ如何という問題をめぐるものというよりは、むしろ、(パースはそこまで明言していませんが)、個的なものをどう捉え、ないしはどう規定するかにかかわるものであることがあきらかになってきます。
 すなわち、個的なものを、元来非確定で、したがって(ここが肝心なところですが)汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在をいわば分有するものと見なすか、それとも、まったく反対に、それを、いわば第一の直接与件として、しかも単純で確定された規定を帯びた、世界と思考のアトム的な構成要素と見なすか。
 「実在論」と「唯名論」との対立の因ってくるところは、このような考え方のちがいにあるとおもわれます。》(『ヨーロッパ精神史入門』47-48頁)

 余分なことを加える。私は坂部恵が「汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在をいわば分有するもの」と規定したものを、坂口ふみが『〈個〉の誕生』で述べたヒュポスタシスに、すなわち「濃いスープや膿などの液体と固体の中間のようなどろどろしたもの」に重ね合わせてイメージしている。

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