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文字的世界【2】

【2】序文、三つの仮説

 韻律、仮面につづき文字をめぐる考察を進めるにあたって、あらかじめ次の三つの仮説を提示します。

 第一、文字は独立して言語体系をかたちづくる。
 第二、文字の発明が時間や心の概念をもたらした。
 第三、声と文字が拮抗して世界の構図が描かれる。

 それぞれの詳細は、次節以降、順次明らかになるはずですが、それはやってみなければ判りません。もしかするとこれと違った表現になるか、それともまったく別の命題が浮上してくるか。むしろそうなる方が面白いし、論考を立ち上げた意味があったと言えるかもしれない。
 と、予防線をいくら張っても生産的ではないので、ここで、現時点で脳内に蠢いている「思いつき」を文字化しておこうと思います。

 第一の仮説で「独立して」というのは、音声とは無関係にということ、あるいは無関係であるかどうかはともかく(たとえ何らかの関係性があったとしても)、固有かつ自律的なメカニズムによって、文字は言語システムを形成してきたという意味です。
 また、ここで言う「文字」は三つの仮説のうち最も広義のものを指しています。佐々木孝次著『文字と見かけの国』第Ⅱ部「リチュラテール──ラカンの「日本」」における表現を援用すると、漢字やアルファベットのような体系的な文字(第二仮説の文字)が作られるよりもずっと前からすでにあった有形の物質的な存在、すなわち「印し、痕跡、しみ、きず」といった、象徴的な記号体系のそとにある「現実的な」文字のことです(177頁)。
 言葉遣いを間違えていないなら、それを「フィギュール」と呼んでもいいでしょう。というか、むしろ私はそのような意味で、これまでこの語を用いてきたし(たとえば「仮面的世界」において)、これからもそうするつもりです。
 もう一点、断っておかなければならないことがあります。「印し、痕跡、しみ、きず」の類によって一つのシステムが形成されるとしても、それはせいぜい(宇宙や生命の現象を統べる)記号の体系の一種であって、言語のそれではあり得ない。そう考えるのが一般的でしょう。
 ですから、ここで対象にする「文字」は、少なくともヒトの精神活動と相即する次元に達した記号──たとえば、アンドレ・ルロワ=グーランが「神話文字(ミュトグラム)」と命名した、洞窟壁画に描かれた形象──以後のものに限定されます。

 第二の仮説は、実は安田登師からの請け売りです。
 師によると、直近の「シンギュラリティ」である文字(外部記憶装置)の発明によって、脳の余白を使った精神的諸活動すなわち「心」が生まれ、リニアな時間の観念(過去への後悔、未来への不安)やリニアな論理が発達した。心以前、文字以前の世界は、私たちの夢の中に閉じ込められていった。それは、心以前の時代に書かれたシュメール語の神話や古代ギリシャの「イーリアス」を読めばわかる。
 私はこの説を直接聴いて、(かつて白川静の文字講話第一回を肉声で聴いた時に匹敵する)興奮を覚えました。同趣旨のことは『身体感覚で「論語」を読みなおす。──古代中国の文字から』に書かれているし、WIREDのネット記事「「紀元前に起きたシンギュラリティからの「温故知新」:能楽師・安田登が世界最古のシュメール神話を上演するわけ」でも詳しく語られています。《https://wired.jp/2017/06/10/yasuda-inanna/》
 この安田説に加えて、私は、クオリアや共感覚やアウラやヌミノーゼといった“非言語的”ないし“超言語的”な体験も、そして、もしかすると永井(均)哲学における〈私〉や〈今〉といった「独在的存在」もまた、文字発明というシンギュラリティの産物なのかもしれないと考え始めています。
 ただ、この(途方もない)仮説に接近する技量も度量も持ち合わせていないので、ここでは、〈私〉に似て非なる「ペルソナ」やあるいは(物自体と似て非なる?)「クオリア」といった、「仮面的世界」で(不充分ながら)言及した広狭二義にわたる仮面記号成立の核心部に、文字発明という出来事があったとだけ付け加えておきます。

 第三の仮説について。
 体系的な文字の発明以降、もともと別系統であった音声言語のシステムと文字言語のシステムが同じ言語の範疇において拮抗し、一方で、通説的(通俗的?)な見解として、文字言語は音声言語から派生しこれを補助する二次的なものであるとされ、他方で、こうした音声中心主義に対する批判として、パロール(音声)に先立つエクリチュール(書くこと、文字)の根源性が主張されたりする。
 普遍的な文字言語を基軸とする文明(帝国)の周辺で生まれた「言文一致体」というエクリチュール(文字表現)のうちに、倒錯したかたちで(近代的ナショナリズムと結びついた)音声中心主義を見出す見解もある。
 このような声と文字が拮抗し、あるいは“マテリアルなもの”と“形象的なもの”が錯綜する文字的世界において、たとえば“やまとことば”や“かな”の動態性について考察し、さらに声と文字の融合によって生み出される韻律的世界や仮面的世界との関係性(世界の構図)を見極める。それが本論考の第三の、そして最終的な課題です。

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