見出し画像

韻律的世界【18】

【18】川原繁─音象徴、声色を使って意味を伝えること(続)

 前回抜き書きした川原繁人氏の発言から、いくつかのキーワードを抽出し、言語の「発明」以前(下方)と以後(上方)に振り分けて整理し、強引に図に落としてみました[*]。あえて名前をつけるならば、「音と形と意味のつながりをめぐる進化系統樹」とでも。

                     【精神界】
          <ロゴス(意味)>
        ─────────────────────
          <メロス(意味)>   【生命界】
   発明以後    [オノマトペ]
【言語】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   発明以前
         論理的意味+非論理的意味  【生命界】
         形 → [音象徴] ← 音
             ≪声 色≫
        ─────────────────────
             ≪ 響 ≫
                      【物質界】

 それでは、この図と、かの「リズム・ライム・モアレ」の三つ組の図とをどのように対応させることができるのか。試しに作図してみました。水平軸(メトリカル・ライン)が複数化し、それぞれに面妖な概念「身分け・気分け・言分け」が紐づけられています。詳細は、次回へ。

     [メタフィジカルな実相]
       ──────╂──────③
      モアレ ┃ ライム
          ┃
 [字]━━━━━━╋━━━━━━②[声]
          ┃
         リズム
      ─────────────①
      [マテリアルな実相]

  ※メトリカル・ライン③:「言分け」
   メトリカル・ライン②:「気分け」
   メトリカル・ライン①:「身分け」

[*]言語発明以前の「声色」が担う「意味」のうち非論理的なものは「メロス」(生命界)と、また論理的なものは「ロゴス」(精神界)と結びつく。しかし実際にはメロスとロゴスは混然融合している。少なくとも画然と棲み分けているわけではない。(これと同様のことが「オノマトペ」にも言えるだろう。オノマトペにもメロス的なものとロゴス的なものがありうる。)

 若干の補足。──平田篤胤「古史本辞経」に「物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に映る。目に映れば必ず情に思う。情に思えば必ず声に出す。其声や必ず其の見るものの形象[アリカタ]に因りて其の形象なる声あり。此を音象[ネイロ]と云う」とある。「声色」は「ネイロ(音象)」に通じる。(『歌うネアンデルタール人』(スティーヴン ミズン)の「Hmmmmm」にも。)
 若松英輔氏は『井筒俊彦 叡知の哲学』で、井筒俊彦は『意識と本質』以降、「コトバ」を中軸にその哲学を構造化していったと指摘している。「バッハは音、ゴッホは色という「コトバ」を用いた。曼荼羅を描いたユングには、イマージュ、あるいは元型が「コトバ」だった。」(222頁)──「ネイロ」もしくは「コワイロ」もまた「コトバ」だった。
(大森荘蔵が「ことだま論」で言う「声振り」と「声色」との関係も気になる。「身振り」や「面振り?」との関係も。)

 場違いなこと。──私はかねてから「やまとことばは‘幼体成熟’した言語である」という仮説(やまとことば=ネオテニー説)にとらわれてきた。これもまた別のところで‘探究’しているテーマの一つだが、本文の議論に関連づけて言えば、やまとことばはメトニカル・ライン①と③によって区画された帯域(生命界)に棲息し、そのままの姿で言語システム(精神界)を形作っていったことになる。
 「音象徴」や「オノマトペ」や「メロス」(感情言語とでも?)が一切の論理的・知的反省を経ず、そのまま言語システムの基軸すなわち「ロゴス」となったのがやまとことばである。そう言ってもいい。
 誰がいつどのような状況で誰(何)に対していかなる「思ひ」でことばを発したか(パラ言語情報)が意味から切り離せない言語システム、すなわち「声色」や「音象」そのものである言語。そのようなやまとことばによって論理的思考を紡いだのがやまとうたをめぐる歌論や俳論、能や茶や武道をめぐる伝書の類である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?