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韻律的世界【25】


【25】リズムからモアレへ─同期・引き込み・ポリリズム

 モアレ篇に入る前に、リズムから形が生まれるメカニズムをめぐって、野村直樹著『ナラティヴ・時間・コミュニケーション』の議論を援用します。

 野村氏は同書に収められた講演録「時間論編 「生きた時間」とはなにか」で、マクタガートの時間論(A系列、B系列、C系列)を拡張した「四つの時間」のアイデアを提唱しています。

【A系列】(例:自伝、主観的な時間)
 ・時制と順序と方向性を持つ時間(過去・現在・未来による時間把握)

【B系列】(例:動画、物理的な時間)
 ・時制がなく順序と方向性を持つ時間(「より前」「より後」による時間把握)

【C系列】(例:静止画、楽譜)
 ・時制と方向性がなく順序を持つ時間(非時間)
 ・区切るごとに何かが増えて行く場合はD系列(例:カレンダー)

【E系列】(例:ダンスの時間、祭りの時間、遊びに夢中になっている時)
 ・時制と順序と方向性を持たない時間(生きていることを示すリズムと変化)
 ・他者や環境との同調・同期(シンクロナイゼーション、エントレイメント)

 以下、野村氏の時間論のエッセンスを、橋元淳一郎・明石真両氏との共著論文「E系列の時間とはなにか──「同期」と「物語」から考える時間系」(『時間学研究』第8巻(2015年3月)から引きます。

 いわく、E系列の時間は「同期」(synchronicity)=「引き込み」(entrainment)から創発する。
 相互作用が同期を誘発する。リズムとリズムが出会ったときに起こる事象が同期である。
 同期は物理世界(振子の共振)、生物世界(心拍・生命時計・群れ)、人間世界(ダンス・合唱・話)に共通する。
 物理学の法則は時間対称で過去と未来の区別がないから、その時間(相対論的時空)はA系列でもB系列でもない。観察者と無関係な客観的な時空、すなわちC系列も存在しない。
 このような「観察者がいる空間での出来事」であるかぎり、物理世界に限らず生物世界でも人間世界でも、そこで創発するのは相互作用を通して局所的に同期する時間、すなわち「E系列の時間」である。

《同期事象はこのように時間と空間を「時空」としてつなげ、 離れた場所における時間はお互い相対的、局所的、個別的になる。経験世界における時計は、いつも観察者を含んだものだから、時計と時間と観察者との三項関係をつくるが、どこにでも当てはまるとして普遍時計(B系列)を携えてあらゆる分野に分け入っていく科学者たちは、観察者抜きの二項関係を描成することになる(松野孝一郎『内部観測とは何か』,p164-166)。経験世界の時計の方は─それがダンスであれ、細胞同士であれ─他から独立したものではなく、 内部からの観察者を想定し、その時間の読み方は「読み手」に依存している。喩えとして、時計を「言語」に、銀察者を「話し手」に、時間を「意味」に準えたらわかりやすい。辞書にある言葉の定義がその会話での意味には必ずしもならないように、経験世界の時計では、時間は、言葉の意味に似て、観察者抜きに同定することはできない。》

 またいわく、『正法眼蔵』に「いはゆる有時(うじ)は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」とある。「時は姿、様相をもっている。生きているさまも、物が存在することも、時の姿である」。
 すなわち、A系列からE系列までの「時間」は「時」の「姿、様相」である。「時」はこれらより一段上の「メタ時間(有時)」である。
 「時間」をリズムに喩えるなら、それぞれの系列時間が異なるタイミングで拍子をとることで重層的な「ポリリズム(複合リズム)」の領域が形成される。
 「時間」を声に喩えるなら、それぞれの系列時間の「声」が相互に闘争する「ポリフォニー(多声性)」の世界が出現する。

 ──私見によると、「時(有時)」はアクチュアルな次元に属し、「物語の時間」を構成する四つの時間系列が帰属するリアルな次元に属しています。(厳密に言うと、A系列に属する〈今〉は本来アクチュアルな次元に属する。)
 そして、E系列の時間は「物語の時間」の根源にあって、その「原型」をなしている。E系列の時間の上に、いわば「倍音」のようなかたちで、異なる他の系列の時間が「(時の)姿」と「(時の)リズム」と「(時の)声」の三つの領域にわたって多層的に堆積している、というのが私がいだいているイメージです。

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