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共感覚を使った科学実装の可能性

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https://note.com/nakahara_mario/n/n0c61abf7c974

共感覚の認識と偶然の一致

共感覚という言葉を知ったのは2015年ぐらいだったか、もっと前かもしれない。知人に「数字に色が見える」「音楽はムービーのように感じる」と話したら「それは共感覚だ」と言われたことから始まったように記憶している。
多くの共感覚者が同じように思っているのではないか。数字に色やキャラクターがありストーリー性を持っていることも、音楽が立体構造を持ち映画のように流れていくことも大して気にしたことがなかった。

 遡って2010年頃から3ヶ月ほどのスパンで不思議な「偶然の一致」が起こるようになっていた。例えば、当時私は写真家を目指していたのだが、勤め先のカメラマンに「あなたの作品には伊島薫さんのそれと同じ空気がある」と言われた。調べてみると確かに作風が強烈に胸に迫るものがあり、私は伊島さんのファンになってしまって部屋のよく見える場所に写真集を飾っていた。
 話はさらに遡ること1999年に「ケイゾク」というセンスの塊のようなテレビドラマがあった。そのドラマの世界観に魅了されて映画ももちろん見にいった。映像の風合いや脚本、キャストが全て完璧なドラマなのだ。
 2010年の夏頃のある日、そのドラマ監督の堤幸彦氏のインタビュー動画を見ていたら「イジマカオルさんからヒントを得て」と話されているのを聞いた。「イジマカオル?」と部屋にある写真集を見てハッとした。
「伊島薫じゃん!」
 他にも、一日に同じ作家の名前を3度も見たり聞いたり、今考えていることを喫茶店の横に座った二人組が急に話し始める、、、など、2010年頃から偶然の一致が起こりやすくなっていた。そこから2015年までの5年間、偶然の一致で得たキーワードを一つずつメモしていった。

2015年-2017年の共感覚

 忘れもしない2015年の5月。どういう因果かわからないが新潟の大地の芸術祭から帰ってきた翌日、都内の電車に乗っていた時のこと。
よくアーティストが「音楽が降ってくるんです」ということがあるが、全く同じ状況になった。しかも一個降ってくるどころか1秒に幾つデータ量があるかわからないぐらいの大量の圧縮された「何か」が頭にデータローミングされるような体感だ。溢れ降りる「何か」は排泄や嘔吐と同じように出さずにはいられない。とにかく電車内でメモしてアウトプットするしかなかった。
 初めは三角や丸、数字の3がひっくり返ったものなどを描くしか術がなかったが、辛抱強く続けていくと次第に平面的な抽象画のようなものへ変化していった。
水を飲むと嘔吐しやすいのと同じように、音楽を聴いて共感覚を使い毎日何時間も形を表す=その構造を吐く=アウトプットする。
するとアウトプットから一年経った時点でその平面のメモはパイプがたくさんある建造物の形や複数に分類できる「何か」の立体構造に進化していった。
 そして、不思議なことだが、2010年からメモしておいた「偶然の一致で得たキーワード」とそのアウトプットした絵たちがリンクしていることがわかっていった。さらに調べると、絵に描いたものは現在研究されている又は今後開発されていくであろう科学の出来事や開発物、音楽や小説など大きく分けて12分野の立体構造だと理解していった。

2017年から2020年の活動

描き出した絵は未来の科学の出来事や開発物だとしたら、私は単にそれを読み取っているだけなのか、それともこれらを作ることになるのだろうか。
せっかく読み取ったのなら作りたい。そう思っていたところ、ラジオでとある大学の先生がその科学技術(デジタルファブリケーション)にほぼ相応するものを作成中だと話し始めるではないか。他にそんな開発をやっている人を知らないし、とにかく連絡してみようとコンタクトをとった。
だが、私自身のお勉強的な準備が全然整わないことや当時「まず生物(バイオ)分野が必須だ」という自分の勘もあり、その大学院に進学することを断念した。かといって、生物分野に向かう方法が既に社会人約10年目であった私には分からなかった。当時の私に進学は現実的でないように思えたため、近所の事業所や近くの小学校でボランティアをしたり、引き続きキーワードを追い続けて方法を模索していた。
※この大学の先生との出会いが私の人生の分岐点となったので、当時私を受け入れてお話を聞いてくださったことをとても感謝しています。


2020年8月からの共感覚絵

2020年は世界の転換期だったが、私個人にもそれがやってきた。
ずっと追っていた偶然のキーワードたちが5月頃からぱったり出てこなくなったのだ。1ヶ月過ぎても何も出てこない。また共感覚へのアクセスもよくわからなくなってしまった。
何もなくなってしまったのなら普通に働くしかない(実は当時療養中でもあった)。幸運なことにその時勢でありながら職場が見つかった。しかし、感覚寄りに生きていた私が急に現実的な仕事をこなすことはとても難しく、抽象と具体のバランスをとる必要があった。そういった理由から2020年の8月頃より、日課として毎日の日付(令和2年8月8日なら20200808という数字の羅列)を共感覚絵として形へ表すことにした。日付ならば一度も同じ数字の羅列は存在しない。それなら生きている間は永遠に描き続けることができる。
それからというものこの4年間は毎日共感覚絵を描き続けている。

2020年
2021年
2022年
2023年


それらは単独のデザインのように見えるものや暗号のように見えるもの、複数のパターンを内包しているものなどたくさん種類がある。1つの形で3つ5つの意味を内包する共感覚絵もある。または数ヶ月後に出会う人のキーワードが出てきたり、リアルタイムで出会った人との関係性が表れていることもある。
私自身は無意識に描いているため、共感覚絵に一方的にデータを教えてもらう立場だ。

最近の共感覚絵

毎日描いていた共感覚絵だが、2024年頃より一日一枚描けない日も出てきた。時間がなかったとも言えるが実際にはそうではなく、描くことはできるのだが「今ではない」と手が止まる。理由としては数日間で一つの構造を組み上げることが多くなったのだ。
つまり、月曜日は目、火曜日は鼻、、、金曜日は体の輪郭、というようにまとまった日数をかけて一つの構造が完成する。
あえて一日一日形を出力することはせず、形にならない、形を持たないモヤを静かに体の中で培養していく。すると、最適な状態で組み上げが行われ、内側で一つの構造が出来上がり、自然と私からアウトプットされる。現在はフラスコらしき形や実験施設らしき製図、分析中と見られるデータグラフなどまさに物理や生物に関するものが特に多くアウトプットされることが多くなった。

2024年


不思議なことに、2020年まではどうしても共感覚絵から得られたデータを現実にするのがとても難しかったのだが、この4年間でご縁ある方々や事柄との出会いがあり、少しずつ現実的に組み上げる方向へ進んでいっている。
個人的な体験から察するに、描いたものと現実が実際にリンクするまで2、3年のタイムラグがあることが多い。今描いているものは2、3年後に私自身が扱うデータのヒントになるのでは?と楽しみにしながら描いている。「宇宙開発?なに夢みたいなことを言うてんねん」と思っていた、2017年頃に描いた宇宙工学関係らしき製図たちも、世界が宇宙産業に動き始めた今はとても現実味をおびてきた。

共感覚絵から抽出したプロジェクトは後ほど記述していくが、これらを抽象的な余白を残した段階から緻密に具体的に数値特定をし、いかに実装するか。人々や地球環境または地球以外の空間に寄与するよう、研究開発をするのが私の今後の人生の目標となっている。
ちなみに2023年からとあるNPOグループの代表を引き受けることになった。
このことも共感覚と複雑緻密な縁で絡み合っている。


フラスコのような長方形

ちなみに共感覚絵というと抽象的なものを想像する人が多いのではないか。もちろんその通りだと私自身も感じている。
最近の私の共感覚絵はとても具体的に見えるが、本当は違うのだ。
元々は抽象的であった絵は煮詰めて煮詰めて解像度が上がりすぎて輪郭がはっきりしたら具体的事象を模したものになった。だから元は抽象だ。
例えば数字の「5」は「S」とも言えるし「 I 」とも言える。私にとっては数字の「5」は「五」ではなく「5」という形なのだ。
フラスコの絵も、「フラスコ」ではなくただの長方形でしかなく、レイヤーを解析していくとその一つにフラスコに相応するデータがあるといった流れだ。

※つつく

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