【愛知県の皇室伝承】12.「岩屋山」由来記:三億八千万人の東夷が投げてきた巨岩を神通力で砕いた聖徳太子(豊橋市)
はじめに:
東海道の名所「岩屋観音」と伝説の数々「二川の駅を過ぎて少し行くと旅客はその右に不思議な観音像の立っているのを見るであろう。これは名高い窟の観音である」
自然主義文学の代表的作家の一人、田山花袋が『日本一周』(大正三年、博文館)の中に書いた、岩屋観音についての文章である。この観音は江戸時代、街道を行き交う旅人に篤く信仰されたという。
岩屋観音は、天平二(七三〇)年に行基が諸国巡錫の途次、一尺一寸(※約三十三センチメートル)の千手観音像を刻んで岩穴に安置したの