底辺高校から難関大に行くことはできるのか

偏差値30台の高校生が難関大学に合格することはできるのか? という問いがあれば、私は、できます、と答えます。

しかし世間一般では、ビリギャルがあれだけ話題になったように、学力の低い生徒が難関大学に合格することはまるで奇跡か何かのように扱われます。

確かに、教育現場にいて、勉強をまともにしたことがないような生徒が難関大学に合格する光景を見ることはめったにありません。

何故ならそういう生徒は普通、難関大学を目指さないのです。口先だけで「○○大に行く」と言うことはあっても、行動に移すことは稀です。そもそもの母数が少ないのです。

しかし数が少ないことと、可能不可能は別の話です。たとえばアスリートも、政治家も、管理職も、変わったところでいえば落語家も、一昔前までは「女には無理だ」と言われていました。世間に「無理だ」と言われるからといって、本当に無理なのかどうかはまったく別の話です。

大学受験について、入試制度の学力偏重が批判されるのをよく耳にしますが、学力試験というのは世の中に数ある選考方法の中では大いにフェアなものだと思っています。

学力試験には、性別も、容姿も、身長も、年齢も、経済状況も思想信条も何も介入してきません。純粋に知識と思考力だけが問われます。そして大学受験のそれは訓練さえすれば必ず身につくレベルのものです。

問題になりえるのは、その訓練の過程ですが、年々そのハードルは下がってきているように感じます。

かつて身分の低い者は学を得ることができませんでした。しかし現代日本に身分制度はありません。

また、「女に学はいらない。学校に行く必要はない」と圧力をかけられることも随分減りました。

書店には学習参考書が充実していますし、今は近所に書店がなくても容易に書籍が入手できます。学習塾は様々な形態で運営されており、大阪では──これは高校生は対象外ですが──塾代助成金が支給されることで、いっそう通塾しやすい環境ができていると思います。

この十数年で最も変化したのはインターネット環境の整備でしょう。オンライン学習が容易になり、学習支援サービス、アプリが次々と誕生しています。

経済状況による格差は厳然と存在していますが、少なくとも大学に進学することを検討できる状況であれば、受験勉強をするために必要なものは間違いなく入手できる社会になったと思います。

それでもやはり、偏差値30台の人間が偏差値70の大学に合格することは、当然のように「無理だ」と言われます。

私も通信制高校の2年生だったときに「大学に進学します」と言って、大いに笑い者になりました。

ある先輩は「不登校だったのに大学に行けるはずがない」と言い、バイト先のある女性は私の志望が外大だと聞いてあからさまに失笑し、「まあがんばってね」と言いました。同居していた祖父も、「お前が自分の部屋にいるときに勉強してるとは思ってないからな」と言い放ちました。

仮に無理である理由があるとすればここではないでしょうか。偏った思い込みで、「お前は大学に行けない」という圧力をかけてくる人間が世の中には大勢います。彼らに合理的な理由は何一つありません。その理不尽は、学力試験以上の難関かもしれません。

一方、予備校ではある講師が私の模試の成績の伸びを見て、「2年くらい浪人して京大を目指すのもおもしろいかもしれんね」と言いました。彼はおそらく、多くの受験生を見てきた経験と蓄積されたデータに基づいて現実的な発言をしたに過ぎないと思われますが、当時は大いに励みになったものでした。

目指すのが難関大であろうが、そうでなかろうが、受験に不可欠なものは道具と情報、この二点です。

道具とは参考書や問題集等、いわゆる教材です。これは書店で揃えることができます。

情報とは試験の仕組みや傾向、解き方、勉強法などのノウハウで、道具に比べると目に見えない分入手が難しくなります。だからこそ、これらの情報を提供することが私のような人間の仕事になり得るです。

偏差値を30も40も上げるのは確かに大変です。時間もかかります。広告で見かけるような魔法のような勉強法も、あいにくと私は知りません。

ただ、「無理」ではありません。気力や根気が求められることと、「不可能」を混同してはいけません。

一人でも多くの人が、「思い込み」や「理不尽」に惑わされず、現実的に進学を検討できることを祈っています。

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