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「気にいらない」と「気にならない」の境界線はどこに?

今回のテーマは「『気にいらない』と『気にならない』の境界線はどこに?」です。

特段、これといった趣味もなく、買い物にしても、旅行にしてもそんなに入れ込むことのなかったことから、「自分のこれまでの人生全体を通じて、頭の中を占めていた内容を円グラフで表すとしたら、一位に位置付けられるものは何だろう?」と考えたことがあります。

その問いによってわかったことは、「人間」と「関係」についてほとんどの時間を費やしていたということです。

「人間」といっても、心理学的なことや哲学的なことを考えることを好むようになったのはそれなりに歳をとってからになりますが、幼いころから自分と他人との違いや、他の人がどういう人なのかを、自分なりにあれこれ詮索していたのを覚えています。

そして、「関係」というのはいわゆる人間関係から、組織や制度といった構造と人との関係も含まれます。

とりわけ、人としての一人一人の成熟と関係の質の向上については、私にとって興味の尽きないテーマでした。

それはおそらく、広島で生まれ育ったことで、「人がちゃんと成熟したら、世の中はもっと平和になるんじゃないか」と考えることが多かったことも影響しているのではないかと思います。

「気にいらない」と「気にならない」

そんな私にとって、誰かのことが「気にいらない」と「気にならない」の境界線は一体どこにあるんだろうか?というのは、探究しがいのある命題でした。

わずか、一文字しか変わらないこの二つの言葉には、近いようで遠い、遠いようで近い不思議な感覚を覚えさせられます。

私はシンプルに、人として成熟すれば、「気にいらない」は「気にならない」になるものだと長い間、思っていました。

もちろん、ある程度のレベルまでは相関はありますし、悟りの境地に至ることが出来たなら、完全にそうなるのかもしれません。

そしてもちろん、元々色んなことが気にならないという頓着の無い人もいます。

しかし、少なくとも私の修行レベルでは、悟りの境地には至れていないのとともに、「気に入らない」の延長線上に「気にならない」が存在しているといったような単純なものではないこともわかってきました。

すなわち、個性の組み合わせが悪く、利害が深く絡むほど距離が近い場合、どうしても「気にいらない」ことは増えやすくなります。

そうした自分が人として未熟なのかと思い、自分を責めてみたり、開き直ったりすることは多いのではないでしょうか。

「気にいらない」の先にあるのは「気にならない」ではなく、「気にいらないけど相手の存在は深いところで許している」という状態です。

相手の態度、やっていること、考え方などには共感できないし、時には明確に苛立つなど依然として気にいらないものの自分の深いところで相手の存在を許している感覚がある。

これが人として成熟していくことなのではないかと思うようになってきました。

相手の何かが気に入らないとして、その不満が継続していたり、相手の存在を否定する気持ちがあったりする場合、それは自分の内面に扱う必要があることを示唆しています。

それを扱わないでいると、我慢して犠牲者に陥って事態を好転させないか、相手を責めるものの変わるはずもなく決裂の道を進むかのどちらかになりがちです。

自分の内側にある、扱うべき投影

では、自分の内面の側にある扱うべきこととは一体何なのでしょうか?

これは多分に心理学でいうところの「投影」(https://goo.gl/ByYzLZ)と深い関係があります。

ここでは、利害が深く絡むほどの近い関係にある人に対して不満や存在否定の気持ちが生じている際に生じがちな扱うべきことをご紹介いたします。

1.自己受容できていない自分の「影」を扱う
2.完了できていない誰かとの関係を扱う
3.自分が本当に汲んで欲しい思いを相手に伝える
4.相手の不可解な言動の背景にあるものを知り、その靴を履く

1は自分が受け入れていない部分を相手に投影しているので、トラウマの解消や自己受容の為の内省が必要です。

2は未だ許せない感覚やわだかまりがある、思い出すと気分が沈む等の過去の人間関係に基づくケースです。
これらは幼児虐待の世代間の連鎖に似た形で現象を再現しえます。
この場合、過去のその関係の人たちとの関係を完了する必要があります。

3は自分の深い所にはどんな思いや願いがあるのかを掘り下げて相手に明かすプロセスです。その気に入らない感覚は自分の存在意義に根差した何かに関連している場合があります。
それを発掘しないまま相手を否定すると拒絶されますが、自分の願いとして語ることで相手の心に響く可能性があります。

4は相手の不可解な言動の背景には、その人が人生の中で培ってきた深い意味を知ろうとすることです。

そんな言動をするに至ったその人の人生に好奇心を向け、深く耳を傾けていく中で全てに合点が行き、相手を許せる感覚が広がったりします。

いずれも実践は大変ですが、自分と向き合うことが相手の存在を許すことにつながる点に人の可能性を感じずにはいられません。

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