「許せること」と「許せないこと」の境界線はどこに?


仕事柄、ほぼ毎日どなたかのお悩み相談や問題解決のための支援をさせていただいております。その中で、根深い悩みや継続している問題を抱えていらっしゃる人には共通点があるように感じています。

それは「誰かや何かを『許していない』」ということです。

許していない対象は、【特定の誰か】のこともあれば、身の上の不遇さも含めた【環境や状況】ということもあります。
はたまた、そういう不満足な状況にある自分、至らない自分、欠けている自分を許せておらず、そしてそのことに自分自身気づいていない、という人も数多くいます。

何かしら満たされていない気持ちになっている時は、「自分は何を許せていないのだろう?」と、深く自身を見つめてみると、許せていないことが何なのかが見えてくることがあります。
また、それが地層のように何層にもわたって積み重なっていることもあります。その場合、地表となっている「自分が現時点で遭遇している問題症状」に直接関係している人や物事を許せていないだけでなく、その地層の奥底に、長年許せていなかった誰かや何かが埋もれ潜んでいたりすることは珍しくありません。

そうした自分自身すらも気づいていなかった「許せていないこと」を許していくこと自体が、まるでその人の「人生の宿題」のようではないかとも思います。
特に、人によっては、自分が同じような立場なら同じように許したくても到底許せないだろうと思えるような経験をなさっている人も当然います。
そうした人生に立ち会わせていただくたびに、「許せないことがあればあるほど、悩みが深くなりやすい」という人生の宿題は、私たちに一体何を問うているのかを改めて考えたくなってしまいます。

「許すこと」と「我慢すること」は当然違うのですが、そもそも「許せること」と「許せないこと」の境界線はどこにあるのでしょうか?
そして、何があれば「許し難きこと」を「許せる」ようになるのでしょうか。

「許せない」状態は何らかの負の感情を伴っているため明確にわかりやすいのですが、逆に「許している」という状態を定義したり、その状態に至るためにどうしたらいいのかを考えるのは意外に難しかったりします。
実際に、口では「許すよ」といったものの、感情的には一切許せていないということはよくある話です。

「許している」とは簡潔に言えば、そのことがどうであれ、気にならなくなる状態です。
従って、そのことが許せていない時、「あるべき状態になっていない」ことが気になっているので囚われに陥り、不足感に駆られ充実感を損ない、時に悩みにまで発展していくのだと思います。


「許せること/許せないことの境界は 気にならない/なるにある」


だから何?と言いたくなるような簡略化ですが、ここに大きなヒントが隠されています。
何かが許せない時、そこにどんな気になることがあるのかを探っていくことに解決の糸口があります。

気になるということは、いい加減に流してはおけない大切な何かがあるはずなのです。そこには痛ましいほどの純粋な願いがあることもあり、それがその人の中で踏みにじられていたり、ないがしろにされたことになってしまったりするので、許せない感覚になってしまうのです。

しかし、許せない感覚に乗っ取られてしまっている人は多くの場合、自分が何をそんなにも大切にしたかったのかに気付けていません。
その大切にしたかったものが崇高で純粋であればあるほど、それが本当に大切であればあるほど、そのことに自覚ができていない人は、四方八方に当たり散らす傾向があるようです。
そして、そうした当たり散らしをやらかした後で自分をまた許せないという蟻地獄にはまり込んで行っています。

同様に「許す」難しさはここにあります。その大切な何かは満たされるとは限らず、自分以外の誰かや何かが満たしてくれることがないことが多いということです。

例えば、平日のみならず休日もほとんど家にいないパートナーにいつも不満を抱え、そのことを許せない人がいたとします。
その人は「あなたはいつも好き勝手やっていいよね」と嫌味を言いますが、先に述べた「充実感」を得られることはありません。
なぜなら、恐らくその心の奥底にはおとぎ話のお姫様のように大事に扱われたいという願いが潜んでいる可能性があるからです。
残念なことにそのパートナーは、それが一生できない『ポンコツ王子』で、その願いを叶えてくれる望みはなかったりします。

人生の難しさはまさにそこにあります。
痛ましいほどの純粋なその願いは自分の一度きりの人生の中で叶えられることもなければ、叶えてくれる人もいない。
それこそが最も「許し難い」事実であるからこそ、人は迷いと悩みの中に居続けてしまうのだろうと思います。
そのくらい純粋な願いを抱いている自分を悼んであげること。
それが「許し」のある豊かな人生の始まりなのだと思います。

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