「自己消失組織」が自家中毒的破綻を引き起こす本当の理由


「うちの会社の七不思議」 そんな言葉を聞いたことはないでしょうか?

程度の差はあれど、自社の中で首をかしげたくなるような不可解な事象は何かしらあるのではないかと思います。

そして、興味深いことにどの会社でもよく見られる景色で、社外の私からみたら七不思議のひとつに挙げてもよさそうなものなのに、そのことに社内の皆さんには自覚がないということもよくあります。

そのうちの一つが 「自己を消失させてしまっているのに、そのことに気付けていない」 です。


それはどういうことかというと、私たちは他の誰でもない「私」が何かを感じ、考え、行動していると捉えがちですが、
・社長の孤独
・中間管理職の悲哀
・経費精算の面倒くささ
・社内抵抗勢力に邪魔されうんざりする経営企画
などなど、その立場・役割に置かれた人は判を押したように同じような感覚を味わっています。

実際、業種・業態や事業規模も異なるのに、同じような無力感を漂わせながら、全く同じセリフを口にするという場面に出くわすことは少なくありません。

  • 創業経営者が考えそうなこと、言いそうなこと

  • 経営企画部長が考えそうなこと、言いそうなこと

  • 営業担当者が考えそうなこと、言いそうなこと

  • 課長が考えそうなこと、言いそうなこと

  • 中途入社社員が考えそうなこと、言いそうなこと etc・・

挙げればきりがないようなこれらの立場・役割によって、判で押したような感情や思考を量産しているのだとしたら、どこに「本当の私」、「唯一無二の私」は存在しているのでしょうか?

私はこうした状況に陥っている組織を「自己消失組織」と呼んでいます。

出版した小冊子「子会社を本当に良くしたいと願うあなたに知ってほしいこと」の中では、「子会社構造」の中で自己を消失し、自らの首を絞めるかのように、自家中毒的に状況を悪化させていくのか、その突破の鍵は何かを描いています。

子会社の小冊子では「あるある話」とそれを生み出す構造に迫っていますが、ケンウイルバーが提唱する「インテグラル理論」の「四象限」に照らし合わせるとより深く洞察が可能になります。
それは「良かれと思ってつくった外的構造が自己消失者を量産し、組織のムード・関係性・文化を悪化へとデッドロックさせてしまう」ということです。
四象限の深い活用には習熟が必要ですが、組織課題を捉える上では四象限のつながりに着目するだけで洞察が深まります。

個人の感情・思考の質が高ければ(左上象限)、コンピテンシー(発揮される能力)の質が高まります(右上)。
考え抜かれた外的構造は質が高く(右下)、組織のムード・関係性・文化の質を高めることとなり(左下)、その組織に所属する個人の感情・思考の質に好影響を与えます。

反対に、個人の感情・思考の質が低い状態で取り組むと、コンピテンシーの発揮レベルは低く、生み出される外的構造も中途半端なものとなり、組織のムード・関係性・文化の質を下げ、個人の感情・思考の質に悪影響を与えます。

盲点になりがちなのは、外的構造によって生まれる「自己消失した感情・思考」が個人の感情・思考の質そのものになってしまうということです。
外的構造によって生まれた立場・役割ならではの愚痴や不平不満があるのなら、それは判を押したように量産させることになります。


「外的構造に起因する自己消失者の不平・不満は組織を疲弊・破綻させる」

子会社の組織運営が難しいのは、右下象限の外的構造が左上象限悪化の装置になってしまっているという点にあります。
その悪化はさらなる外的構造の低下を招き、「うちの会社はどうせ・・・」と組織のムード・関係性・文化の質の低下を恒常化させ、四象限の悪化のループを完成させてしまいます。


この悪循環の脱却の鍵がどこにあるのか。
それがまさに自己消失した状態から抜け出し、「本来の自己」として生きられる人を増やしていくことに他なりません。

詳しくは小冊子の最終章「悪循環からの脱却の鍵はどこに?」でご紹介させていただいていますのでそちらをご参照ください。

組織として、何ともなりようがない、と感じるからこそ、個々人の「本来の自己」としての回復が必要になる。
私はそこに人間の可能性の解放に関する深遠な逆説があるような気がしてなりません。


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