相手への「割り切れない」フラストレーションとうまく付き合うことの大切さ


対人支援職に携わるようになってから20数年経ちますが、平均すると週に何度かは何かしらの相談に乗らせていただいているように思います。

面白いもので、どんな内容の相談であったとしても、どこかの時点で必ずといっていいほど、その人が手を焼いていたり、厄介だと感じていたりする身近な誰かの話が出てきます。

しかも、その人が人間関係の明確な悩みだと認識していることは珍しく、ただ、その相手に対する苛立ち、困惑、文句、不快感を打ち明けられるケースがほとんどです。

そうした相談を受けるたびに思うのは、何かしらの利害関係が生まれ、誰かしらと距離が近くなればなるほど、そうした不快感はつきまとうものなんだという事です。


端的に「誰かと近くなる≒フラストレーションを抱える」と言ってもあながち間違いではないようにさえ思えます。

それはまるで、雨の日もあれば、晴れの日もあるように、しゃくにさわることもあれば、ないこともあるという至極当たり前な自然の摂理なのかもしれません。

言葉にしてしまえば、「何をいまさら・・・」という類の話であるにも関わらず、なぜ、私たちはこんなにも、誰かについて思い煩う日々を送ってしまうのでしょうか?

それはシンプルに言えば、「まあ、あの人はしゃくに障ることもあるけど、そんなもんだよね」と『割り切れない何か』があるからだと思います。


割り切れない何か


その『割り切れない何か』は、プライドや価値観といった心理的なものだけでなく、ステークホルダーとして利害が絡んでいればいるほど、相手の状態を放置する事で不利益を被る恐れがあることから、「そのままにはしておけない」気持ちを加速させてしまいます。

それがフラストレーションの種となり、お互いがお互いの存在を疎ましく思うようになったり、飛び火してそのコミュニティ全体に広がっていくことは少なくありません。

特に昨今のビジネス環境においては、「終わりよければ全て良し」と言えるほど、簡単に成果が出せるような状況ではありません。

それが故に、「あいつが足を引っ張っている」、「あいつがもうちょっとなんとかなってくれたら」と思う状況がそこかしこで発生しており、それが不機嫌な職場を慢性化させているように思います。

『割り切れない何か』はこれからの時代ますます増えていくと考えた場合、
自分自身の心身の健康を維持する上でも、うまく付き合っていくしかないように思います。

私たちは「問題はあってはならない」という姿勢になりがちですが「問題は
あるものだ」というスタンスに立てた時、それとうまく付き合うための知恵が拡がり始めるのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?