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【悔しさが生んできた言語化】

オリンピックでの阿部詩選手の敗退も驚きましたが、それ以上に彼女の号泣に驚いたのは私だけではないのではないでしょうか。あんなに号泣している人を見ることはあまりないのはもちろんのこと、そこまで悔しい思いがあるくらいに自分の全てをかけて取り組んできた姿勢自体がとてつもなくすごいことだなと思います。

『ビジョンプロセッシング』が発売されてから先週金曜日に1ヶ月ほど経ちますが、いろんな方から書籍を読んだご感想をいただいています。
書籍を読み込んでくださった方からいただく感想で多いのは、
「漠然と疑問に思っていたことが明確になった」
「言語化が半端ない」
「これで2900円は安いですね」
といった言葉です。

こうしたご感想のいずれもありがたく思っていますが、先日は自分自身色々と振り返る言葉をいただきました。
弊社のクライアント企業の社長との面談が先日ありましたが、社長は私の本を読み込んだ上で面談に望んでくださっていました。
面談の中で、社長は何度も「この書籍は、考え抜かれて書かれている」と言ってくださいました。
しかも、ただそう伝えてくださるだけでなく、言葉を変えながら、私が「よくぞここまで考え抜いているものだ」ということを伝えてくださいました。
傲慢にならないように、リップサービスをしていただいているだろうと差し引いて考えるようにしていますが、ある一言が印象に残りました。

それは、「中土井さんは子供の頃からそうやって深く物を考えるところがあったんですか?」という質問でした。
その時に、口から出てきたのは、
「子供の頃から偏屈に物を考えることはありましたが、考え抜くことが訓練されたのは最初に勤めたコンサルティング会社からです。それまでは全くそんなことはなかったです」
というものでした。
面談が終わった後でその回答は間違ってはいないものの、何か言い尽くしていないなと思い、自分なりに振り返ってみました。
そこで見えたのは、私は幼少期から、伝わらない悔しさをずっと持ち続けていたことが土台になっているのだろうということです。

幼少期から周りとはだいぶ違ったところがあり、その違いを疎ましく思われたり、誤解されたりすることが多くありました。
そうした違いや自分の至らなさが起因して、人間関係上のトラブルや息苦しさを抱えることも少なくありませんでした。
自分の想いが伝わらないという体験をした時に、表現することをやめるという手段を取る人も多いと思いますが、私はよっぽど話が通じないと思わない限り「あの時何と伝えたら良かったんだろう」と考えてきたように思います。
したがって、私は元々深くものを考えたり、本をたくさん読んで思索に耽るというよりも、伝わらない悔しさと向き合っていたのだと思います。
私は何かの勝負に負けて悔しくて大泣きしたことはありませんが、思うように人に伝わらなかったり、人に誤解を受けるということに対して悔しい思いを多くしたように思います。
そうした悔しさが私の土台を築き、書籍という形を通して多くの方にお役に立てるのだとしたら、本望だなと思います。
そして、過去の自分によく頑張って来たねと伝えてあげたい気持ちにもなりました。

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