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【偏見】勉強できる人は◯◯できない-ロザンの楽屋を見て考えたこと-

ロザンの楽屋を見て考えたこと。
今回はロザンのお二人の意見と僕の意見がちょっと違うかなという話。


動画はこちら。
内容は、勉強できる人は運動できない、コミュニケーション能力が低い、などと言われることがあるけどそこに相関関係は無いよね、むしろ勉強できる人は頭良いんだから運動やコミュニケーションについても頭を使ってうまくやってる人が多いんじゃないか、という感じ。

ロザンのお二人はいわゆる高学歴と言われる層であり、僕も一般的に言えば高学歴に分類されることの多い層だと思う。
勉強ができることと運動ができることに相関関係が無い、というのはわかるし納得できるんですが、むしろ勉強できる人は運動も頭を使ってできるから運動も得意な人が多いんじゃないか、というのは違うように感じる。
それが本当なら進学校のスポーツはもっと強いはず。

そもそもこの話に限らずいろんなところで、勉強ができる、と、頭が良い、が同じように語られることが多いがそれがおかしいと思う。
そもそも、勉強ができる、頭が良い、の定義とは何か。
勉強ができる、については学校の成績の良さや学歴の高さのことであり、これはかなり共通の認識であると思う。(ペーパーテストが得意な人、とも言えるかも)
頭が良い、についてはかなり幅がある言葉なので人によって違うかもしれませんが、僕としては頭の性能が良いというイメージ。
ただ頭の性能が良い、と言っても、回転が速い、記憶力が良い、発想力がある、などいろんなタイプがあって、一番頭が良いのイメージに直結するのは、回転が速い、ということかなと思う。

頭の回転が速い=頭が良い、と定義すると、頭が良い=成績が良い、は成り立たなくなる。
特に学校の成績には回転の速さよりも記憶力とどれだけ勉強してるかが反映されるので(科目にもよるけど)まったく成り立たない。

あと勉強ができてスポーツもできる人もいるし、さらに人が良くてコミュニケーション能力も高い人もいるのに、勉強ができる人は〇〇できない、という偏見があるのは、高い能力を持つ人にはなにかマイナス面を持っていてほしいという嫉妬だ、というような話がでてきたのですが、これにも違和感がある。
たしかにそういう面もあるとは思うが、基本的に動画の中では勉強ができてスポーツなど他のことができない人や勉強ができなくてスポーツなど他のことをできる人を軽視しているように感じる。
勉強ができてスポーツもできる人はもちろんたくさんいる。
でも勉強ができてスポーツができない人もたくさんいて、さらに勉強ができなくてスポーツができる人もたくさんいる。
そして勉強もスポーツもできないけど他の何かができる人もたくさんいる。
能力の種類はたくさんあって複数できる人もいれば1つしかない人もいるし何もないと感じている人もいると思う。

僕の感覚としては頭の良さにはいろんなジャンルがあって、勉強する頭の良さがあってもスポーツする頭の良さがない人もいれば両方ある人もいる、他のいろいろな分野に対してもそうでいろんな分野に頭の良さが出る人もいればある特定の分野に尖った頭の良さを発揮する人もいると思う。

さらにはやりたいことに対応する頭の良さがそんなになくても努力や工夫でやりたいことをやれるようになる人もいる(記憶力が良くなくても努力して良い成績を取る、という感じで)のでそれも含めるとさらに話が複雑になってしまう。

ちょっとまとまりきらないですが長くなってきたのでこの辺にしておこうと思います。

というわけで今日はここまで。

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