不吉じゃない話

ある人が、「自殺のニュース見て何が怖いかって、自分もふと生きるのを辞めたくなるかもしれなくて怖い。自殺は他人事じゃない」と言っていた。

ああ、私が感じていた恐怖はこれだったか。と。

別にその人も私も死にたい訳じゃない。それは絶対そう。夢を語ったりするし、生きる理由がある。

でも虚しさが蔓延る現代でいつか、10年後20年後、もっと先かもしれない。綱がだんだん糸になって、プツッと切れてしまわないかと漠然とした不安に駆られる。

原因はなんだろう。ネット社会?只の『昔の方が良かった』に該当するのか?間違いなく便利な世の中なのに!

他人の田を取ろうとしないような時代の人等はこの虚しさを経験したのだろうか。

ちなみに私は1ミリも病んでいません。(熟考することを放棄する故、すぐ"病む"という言葉で片付けたがる人のために一応。)

病んでいるのではなく、生きる事を考えるのと同じ様に死ぬ事について考えているだけ。


『誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。』

芥川龍之介ー或旧友へ送る手記                     (昭和二年七月、遺稿)                  抜粋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?