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ファッションはデザインなのかアートなのか?

 服はデザインするのが一般的で、服を作る人のことを「ファッションデザイナー」とは言うが、「ファッションアーティスト」とは言わない。

 しかし、パリコレのランウェイ、ファッションショーを見ているとファッションは「身体をキャンバスにしたアート」に見えて他ならない。

(comme des garcons 18年春夏 look 9)

 例えば上のような服は、日常生活で着る人はいないし、着たとしても生活に支障をきたすだろうし、デザインと呼ぶには無理があるだろう。

 コムデギャルソンの服はメトロポリタン美術館や京都国立近代美術館で展示されているが、人に着られることなく美術館で展示されている服を見ると、それはアートと言うしかない。

ファッションはデザインなのかアートなのか?

 「ファッションはデザインなのかアートなのか」について考えるとき、そもそも「ファッション」「デザイン」「アート」という言葉自体が、一概に線を引くことができない曖昧な言葉であることに気づく。

 これはファッションとアートというジャンルがそれぞれのクリエイションの中で、「ファッションとは何か」「アートとは何か」と定義を拡張しているからであり、互いの境界が曖昧で、親和性も高い理由であると考えられる。


デザインとアートの違い

 まず、デザインは資本主義のビジネス的側面が強く、消費者のニーズに合わせた客観性が重視され、機能性などで良し悪しがはっきりつけられる論理的なものである。

 一方アートは、主観的で表現することに重きがおかれ、鑑賞する側にリテラシーが求められ、単に良し悪しではない。

 つまり、ファッションは、自己を表現するものという点と、見る側はリテラシーを要するという点ではアートだが、服そのものを売らなくては自分のクリエイションができないというビジネス的側面はデザインに似ていると言えるだろう。

ファッションとは

 ファッション(fashion)という言葉には単に服という意味だけでなく流行、トレンドという意味を持っているように、今の価値観で良いとされるものが、次の時代では古くさいものに見えてしまうことがよくある。

 マルタン・マルジェラをはじめとする多くのデザイナーが「ファッションはアートではない」と言い張る理由は、歴史的遺産を保存する美術館にファッションを展示したとしても流行の中で廃れて見える可能性があるからだと思う。

ファッションとアートの親和性

 先ほどの述べた通り、ファッションもアートもクリエイションの中で定義を拡張してきた歴史があるので、お互いの境界が曖昧になり、また親和性の高いものに感じられる。

 先ほどのような川久保玲が作るコムデギャルソンの服は、「服は首と手足を通す穴がある筒状のものである」という数少ないファッションの制限の解放を目指す服であり、もはや布を使ってないものもあるためファッションという領域から逸脱しているように見えるのである。

 また川久保玲のクリエイションは抽象的でリテラシーがないと読み解けない服が多いという点もアートに近く見えるのだろう。

アートとファッションのリソース

ファッションにおけるクリエイションのリソースについて大きく2つに分けられる。

1つはデザイナーの生い立ち、バックボーンをリソースとするもの(expression)。例えば、LVMHのプライズのファイナリストに選ばれたa-cold-wall*のデザイナーのサミュエル・ロスは、人種的な労働者階級が根強く残るブラクストンで生まれ育ったバックボーンを自信のクリエイションにしている。

(a-cold-wall* 19年春夏)

 2つ目はデザイナーが感じた、音楽や映画、カルチャーなどをリソースとするもの(impression)。Calvin KleinやJilsanderなどで経験を積み、21年春夏からMiu MiuのデザイナーをするRaf Simonは、ラフのコレクションは「ファッションとは関係なかった。すべて音楽だった。」と言われるほどで、自身のブランドで1998年のBlack Palm期と呼ばれるシーズンでは「SEX PISTOLS」をテーマとしており、名作である。

(Raf Simons 1998年)

 こうしてみると、デザイナーの生い立ちや感じたことを表現するという手法は非常にアート的であるように感じる。

現代におけるファッション、アート、デザインの立ち位置

 佐山一郎は「デザインと人 25interviews」の中で「20世紀というのはすべてのデザインが、アートからデザインに移行して、そのすべてが流行現象になってファッション化された」と述べている。つまり、デザインだけでなくアートでさえも資本主義社会の中で、流行という流れを無理できなくなってあるのである。

結論

 現代においてはデザインとアートとファッションはそれぞれのクリエイションので定義を拡張し、資本主義社会の流行のなかで境界は曖昧なものになっている。

なかの

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