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ナカさんの寄席日記 33 林家正雀正本芝居噺の会

東京都のコロナウィルス感染は連日50人前後。人混みに出るのはなんとなく怖い。空いている路線を選んで乗り継ぎ両国駅へ。
外出の億劫さより「どうしても見たい!」という気持ちの方が勝ったのかといえば、今年3月の国立名人会が中止になったからです。
国立名人会といえば毎回チケット手に入りにくいし、しかもトリが正雀師匠の芝居噺で「鰍沢」だったのです。ギリギリまで開催するか否かの発表を待ちましたが結果はやはり中止。コロナ感染防止のためとはいえ非常にガッカリしました。お弟子の彦丸さんも見たかったのになぁ。。

6/30(日)の会は急遽決まった落語会だそうですが偶然同じ演目だし芝居噺なんて滅多に見ることができないので、限定20席の落語会を予約しました。
江戸東京博物館小ホール。入場前の検温と連絡先の記入。マスク着用。
座席は135席で限定20名の観客ですからとてもゆとりがあります。
今回は録音録画を目的とした会だそうで、客席中央に機材が入ってました。
20名のお客は程よく散らばって座っていたので違和感はありませんでした。

芝居噺というのは歌舞伎のような大道具(背景やパネル)があったり、鳴り物が入ったり、噺家さんが役者のように演じたりする落語の一種です。
幕末から明治にかけて活躍した初代三遊亭圓朝も最初は芝居噺をしていたそうですがその後素噺に転向しています。素噺は現在のような座布団に座って扇子と手ぬぐいのみを使う落語ですね。芝居噺を継承されたのがこの正雀師匠の師匠である林家彦六師匠。現在では芝居噺を実際に見る機会は少ないのです。私は平成28年7月に調布寄席で牡丹灯籠を見た以来でした。

正雀師匠はもともと歌舞伎が好きだったそうですから、形が決まっていてかっこいいです。「鰍沢」のサゲまで来ると黒子さんが左右から幕をぱっと引いて背景に雪深い山の景色が現れます。ここから落語口調からお芝居口調に変わり歌舞伎の様に演じます。引き抜きで衣装が黒紋付から白地に青の大きな市松模様の着物に早変わり。キリリと端正なお役者さまのよう!
鰍沢は素噺でもゾクっとする落語ですが、最後にこういう演出が入るだけでさらにグッとその世界にひきこまれます。猛烈に吹き荒れる吹雪、急流に流される筏、女房が打放つ鉄砲の音。目と耳で想像力をかきたたせられます。

落語の後に正雀師匠と和田尚久さんの短い対談がありました。
鰍沢、実は圓朝作ではないかも説(Wikipediaにも書いてある)とか、昔は照明の道具や技術がなかったので、衣装の引き抜きで黒紋付→白の浴衣になるとスポットライトの効果がある、などいろいろ興味深い話もありました。
背景の絵のタッチはどちらかというと歌舞伎というよりは新派に近い。
正雀師匠からは彦六師匠の演じたキャラクターの性格の話や、「鰍沢」の圓生師匠と彦六師匠との違いなどもお聞かせいただきました。
今回収録された芝居噺(午前の部は真景累ヶ淵の水門前、午後が鰍沢の2公演)は貴重な映像資料として残されることでしょう。このような会がまたあれば足を運びたいと思います。

金原亭馬久さんが黒子と開口一番(近日息子)を勤められました。
芝居噺は裏方も大勢必要、打合せも必要、道具の運搬、そのあたりがやる機会の少ない理由でしょうか。
彦六師匠が残された道具はどういう噺があるのか?倉庫にしまってあるのか?正雀師匠はおやりになる芝居噺のネタはどのくらいあるのか?いろいろ知りたいし実際の高座が見たいです。
出来ればお弟子の林家彦丸師匠、芝居噺を継いでくださらないかしら。。。芝居噺に寄席の踊り、なんて粋でカッコイイですよね。期待してます。

2020.6.28

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