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魚屋4代目の話 11話
私はその頃は下北沢の寄り合いには参加しないで地元の寄り合いに参加してました。地元の人が販売店の窓に小石を投げてくれて私に連絡をとってくれました。
新聞配達ともうひとつ集金の作業がありました。あの頃の朝日新聞は1ヶ月2,600円でした。新聞を取っているのにお金を払わない人が結構いました。なんで払わないの。私が地腹を切って払うこともありました。泣きますね。新聞奨学生は3年働けば貰った入学金、授業料等の返済は不要になります。
ある日の日刊スポーツ紙に若嶋津と高田みづえの熱愛報道が載っていました。高田みづえファンの私はショック受けたのを覚えています。
4回生になって私は新聞店を辞めて、次のアルバイトは掃除屋さんで働くことに決めました。俗にいうビルメンテナンスです。主にポリッシャーで洗って出た汚水を、私がかっぱ機で集めて捨てる作業をしました。その後はワックスを塗って乾かして完了です。
時給は700円くらいかな。あとは日本育英会の奨学金で賄いました。
そのビルメンの社長がたまにスナックに連れて行ってくれました。歌うより一緒に行ったバイトのおばちゃんと踊るのが楽しかったです。
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