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おっさんと苦い話をしよう【ロバート・ツルッパゲとの対話】

哲学。私は別に頭が痛くなるような難しい話をしたいわけじゃない。でも想いがこぼれた時に話を聞いてくれる人が傍に居てくれたら幸せで、それが解決策を出すでもなく「そりゃ苦い思い出だな」と返してくれるような人だったなら、なお最高だなと思う。

今日はワタナベアニさんの著書『ロバート・ツルッパゲとの対話』と、私の話を少しだけしようと思う。この本は、読んでから絶対に感想を書こうとずっと心に決めてはいたんだけど、どうしても書けずにここまできてしまった。

なぜなら「どうせ感想を書くならうわべで書いちゃいけないぞ。分かってるな」と雄弁に語りかけてくるような妙な圧力を感じさせる本だったからだ。それだけ肉声に近い言葉で書かれていると言い換えてもいい。

さて、

色々と引用したい箇所はあるんだけれど、毎度のことながらギュッと一つに絞りこむ。今回は一つ『デュシャンとゴッホ』の章にある最後のエピソードシーンを振り返ってみたいと思う。

ここでは一人の女性が登場します。写真展でワタナベアニさんの写真を買った女性です。ギャラリーでその女性とほんの少しだけお話をしたアニさんは「あの人はどんな人なのだろう」と彼女のブログを読むに至ります。そこには、アニさんが想像していたアート好きな女性というステレオタイプからは遠く離れた一人の人間の姿がありました。

アニさんはこう述懐しています。

その人は昼間は普通の仕事、夜は時々アルバイトをしているらしいことがブログを読むとわかりました。写真展で写真なんかを買う人は、アート的な教養とそれなりの経済的な自由がある人だと俺は勝手に決めつけていました。数万円の小さな写真なら「価値あるモノを手に入れた」というより、気軽なインテリアグッズくらいの気分で買うんじゃないか、と俺は思っていたのです。それはあまりに傲慢すぎたことに気づきました。頭をハンマーヘッドシャークで殴られたような衝撃を受け、口の中に血と生臭い潮の味がしました。

彼女のブログには「気に入った写真を部屋に飾ったら、やっぱりいい気分だった。自分にとって決して安い金額ではなかったけれど、明日からは毎晩これを見て出かければ、仕事を頑張れると思った」と書かれてあったそうだ。

この話は私にとってもごんぎつね級の衝撃があった。他者を偏見の目で見てしまうこと、自分は分かっていると傲慢にも思い込んでしまうこと、それを後から思い知らされること、全て身に覚えがあるからだ。

ここからは私の話。昨日から遡り、ここ半年の出来事を話そうと思う。良かったら耳を傾けてほしい。

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4月1日。

昨日は息子の二度目の入園式だった。昨今の疫病事情で寂しい式典となってしまったが無事に入園の日を迎えられたのはありがたい話だった。

二度目の入園式と言ったのは息子が一般的な幼稚園から児童発達支援センターへと今年度から転園したからだ。周りの4歳児たちと比べて極端に成長のスピードが遅かった息子は半年前に市の発達相談所で2歳児くらいの知能であると判定を受けた。その差は療育という特別なプログラムを受けなければ到底埋まるものではないものだと判断された。

その日の帰り路、妻は公園で嬉しそうに遊ぶ息子を見て涙をこぼした。

幼稚園と週二回の療育を続けること3か月、療育のプログラムが息子に合っていたのだろうか、良い兆しが見え始めた。その後、相談員を交えた面談で週5回の発達支援センターに通うことを薦めてもらった。

その紹介は息子の成長の兆しが見えた希望であると同時に、やはり息子は周りの園児たちと同じ道は歩めないんだという落胆が入り混じる複雑な光であった。でも落胆することではなかった。それこそ傲慢であったことにその後私達は思い知らされた。

それは入園前、発達支援センターの園長先生と面談した際のことだった。

我々夫婦は相談事で息子が全く人と目を合わせようとしないことを悩みとして打ち明けた。息子は自分の世界に入ると周りのモノが目に入らないのだ。園長先生が聞いてくれている間も、息子はお構いなしにずっと玩具で遊び続けていた。

「キーーーー!!」

その時に息子が突然大きな奇声を発した。吃驚した私たちはあわてて息子に「おっきい声はダメよ」とたしなめたが、園長先生は違った。

私たちの息子を抱き上げると「おっきい声出せて偉いね」と優しく声を掛けたのだ。そしてすぐさま私に向かって教えてくれた。「お父さん見てください。息子さんは今私の目を見ています。息子さんは目を合わせられます。大丈夫です」と。

あ…

嘘みたいな話だがその日以来息子は人の目を見ることができるようになった。そして、不思議なことにそれまで二語文までしか話せなかった息子が少しずつ喋るようになってきたのだ。ひらがな表も読めるようになった。たぶんあの園長先生の言葉が何かのスイッチになったのだと思う。

最近は絵本を音読するまでになった。絵本に食い入るように顔を近づけ、一文字一文字、声に出して読んでいる。それは半年前までは想像もしていなかった光景だった。

私は出会うまで心の奥底で、発達支援センターのことも息子のこともどこか信じていなかったのだと思う。息子はそりゃ勿論かわいい。だけど「かわいそう」という気持ちがずっとあった。あんなに頑張って絵本を読もうとする力があるのに信じてあげられていなかった。

発達障害のことも何も分かっちゃいなかったし、ただただ私が傲慢だったのだ。

アニさんのセリフを借りるなら「頭をハンマーヘッドシャークで殴られたような衝撃を受け、口の中に血と生臭い潮の味がした」わけだ。

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生きていればどうしても苦い思いに駆られる出来事の一つや二つは生まれるものだけど、たとえ納得のゆく解決ができなくても誰かと対話することはできる。それだけが救いの道になるし、自分の足で歩けば何かしらの答えにはきっとたどり着く。

ただし、その言葉は必ず自分の見聞で語ること。間違っても「気づきがありました」などと軽々しく口にしてはいけない。どうやら、それがワタナベアニさんが云うところの対話による哲学の本質らしい。

そういう対話ができる人がそばに居るなら幸せなことだね。でもそんな人はなかなか都合よく居るもんでもない。それも自分で探さなければならないね。見つからないと嫌になることもあるだろう。

そんな時は『ロバート・ツルッパゲとの対話』を傍らに置くといいらしい。

そこには少し口が悪くて、自分の言葉で喋ってくれるおっさんが居る。

#ロバート・ツルッパゲとの対話 #感想文

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー