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みんなのnote運営で思うこと

もっと何気なく有料記事が増えても良いと思う。
無償なんだけど素晴らしい文章がnoteには溢れ過ぎている。
この2か月の間 毎日のように気に入ったnoteに少額のサポートを続けてゆくうちに思った。

おかげで私のクレジットカードの明細は数珠つなぎの様にnoteの名称で埋め尽くされている。後悔はないが、ただ後から見返すと正直やりすぎた感はある。

◇◇◇

クリエイター側は有料にすると文章を目にする読者が減ってしまうという戦略的な理由からジレンマ的に有料に踏み切れない場合があるが、もっと大きな問題は「有料で販売したいけれども私の文章でお金を取るなんて、、」と単純に遠慮してしまっている層が少なからずいることだ。

これはその人の考え方や性格上の行動なのであるが、問題なのはこういう人に限ってとてつもない文才に恵まれていることが多々あって、有料を遠慮することで無料の優秀な文章がネット上に溢れかえってしまうのである。

そうなると読者層はそれだけで満足できてしまう。まずいことだ。

これは私が真剣に考えることではないかもしれないが、無償でここまで楽しめるnoteだからこそ この現象は危機感がある。
広告が出ない分、noteの収益は純粋にユーザー同士の金銭のやりとり上で発生するマージンで賄われる訳だから、そもそも販売と購入の絶対数が少ないとnoteの運営が成り立たなくなるはずなのだ。

無償のやり取りであまりにnoteを寡占してしまうと母体の運営が危うくなる。遠慮のかたまりでこの素晴らしいサービスを食い潰してはならない。

ちょっと難しい言葉を使うと継続的な無償提供というのは究極の不当廉売(れんばい)なのだ。
(※独占禁止法を勉強すると出てくる言葉で必要以上に安い値段で売りさばくこと。市場を独占して値段を吊り上げることだけが独占禁止法違反の様に言われているが、実は不当に安価な価格で市場を席巻することも同様に独占禁止法違反である。)

◇◇◇

頑張れば頑張るほど自分たちの首を絞めてしまうことは避けたいよね。

その為には遠慮してしまっている人たちに是非とも立ち上がっていただかなくてはならない。正当な対価を自分の口から声をあげて要求してほしい。
正当な金銭のやりとりを繰り返すことだけがこの苦しさからの脱却への道なのだから。

声をあげないといつまで経っても現状はそのままで
誰も助けてはくれない。
どれだけすばらしいものを書いても駄目だ。
そこに自分で価値を表明して認めさせるしか道はない。

#エッセイ

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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー