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エセっぽい多様性

パッと見で正しそうなんだけど、そうじゃないものは世の中にゴロゴロと転がっている。

多様性という言葉を武器に、頼まれてもいない意見を他人にぶつける人達もその一つだ。

本当に多様性を重んじている人たちは、身の回りで多少意見・主義主張の相違があったとしても放置しているものだ。一見して事なかれ主義のようにも見えるがそれとは違う。たとえば目の前で犯罪が行われているとすれば少なからず警察を呼ぶなり、制止の言葉を掛けるだろうからだ。

極端な事例は除くものとして、

「自分と他人とはそもそも考えが違うもの」

これをわきまえている人が多様性を重んじる人たちだ。

これに対してエセっぽい多様性を重んじる人たちは、身の回りの人たちにところかまわず意見する。自分の考えを相手に認めさせる目的で「多様性」という言葉を用いる。

目についた気に入らない意見・主義の人に対して、ネチネチと意見するのである。そして、無視・もしくは反論されようものなら激昂する。この時に訊かれてもいない持論をつらつらと並べた挙句「あなたは偏っている。私たちのような意見を広く受け入れる耳を持たないのですか?多様性を認めないのですね?」などと詰め寄ってくる。

絡まれた人は辟易とするだろう。

だって、相手は自身の正義を振りかざし、こちらが折れるまで攻撃してこようとするのだから。多様性を認めていないのはそちらでしょうとぼやきたくもなるだろう。

でもエセっぽい多様性を信じる人たちはそこが分からない。もしくは分かっていながら相手への攻撃の為にその言葉を用いる。すべては多様性を潰すためだ。

そういう意味で非常にパラドックス的な現象だと思う。

まあそんな私の感想などどうでもいいだろう。

何せこういう人たちが用いるエセっぽい多様性には付き合わなくてもいいと思うよ。

#エッセイ

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー