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一夫一妻制が崩れることは起こりえるのか

昨今の情勢をニュースでみてふと考えた。

おそらくだが同性婚はいずれ法的に認められる社会がやってきそうな気がする。身の回りを観測する限り世間的にはもう受け入れる風潮が出来上がったように感じるし、あとは政治家が真剣に動くかどうかだけなのではなかろうか。まだ、時間は掛かるだろうが何とかなるだろう。そうなると婚姻関係は男女一対とは限らなくなる。婚姻の形は非常に大きな変容を遂げるだろう。時代の流れを感じる。

変わらないと思っていたものが変わる。衝撃度で言えば相当なものだが、日本人は変わり身が速い民族なのできっと受け入れるのであろう。

では、唐突だがあなたは一夫一妻制が崩れることはあると思うだろうか?いわゆる重婚が認められるかどうかであるが、具体的には一夫多妻制や一妻多夫制がそれにあたる。これに関しては否定的な人が多いのではないかと予想する。私も何となくだが嫌だ。たとえば家に帰った時に妻ともう一人、自分以外の夫がリビングに居てたらとても居心地が悪いだろうし、妻が二人並んで座ってても居心地は悪そうだ。

しかし、これも過去の慣習に縛られた思い込みなのかもしれないと考え始めている。日本国内で考えるから違和感があるだけで例えばアフリカの国で4人の妻とその子供を一生懸命に養っている男がいたとして、「全員愛している。文句あるか?」と突き付けられたら、言い返す道理もない。むしろ立派だと思うだろう。それなのに一夫一婦制の国で同じことをすると大バッシングを受ける。所属するコミュニティの倫理観の違いだと言ってしまえばそれまでだが、何となくしっくり来ない。

なぜ重婚は駄目だと思ってしまうのだろう?よくよく考えてみると不思議だ。

複数の人を愛して複数の人と生涯を遂げることは罪なのか。
確かに日本には重婚罪という罪が存在する。刑法では、配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは2年以下の懲役が科されることになっている。しかし、重婚罪は実行しようと思っても役所への手続きの時点で弾かれてしまうので実質的には不可能犯罪なのだ。「え?」と思われるかもしれないが、重婚は役所の戸籍係が誤って婚姻届を重複受理するアクシデントでも起こらない限り基本的に成立しない。これは本当だ。

もっといえば妻子ある男性が、別の女性と暮らそうが、法律上の婚姻関係が重複していなければ重婚罪で罪を問われることは無い。ただ、重婚罪とは関係ないところで民事裁判でぼこぼこにされるだけなのだ。全く関係ない。何のためにあるねん、重婚罪。

一夫一妻制の倫理観をまもるためだけに存在してるのかよ。

そもそもの話をすると民事的な争いにさえならなければどんなに事実婚を重ねようと罪に問われることはない点を考慮すると複数の人を愛すること自体は何の罪もないといえる。当然と言えば当然か。一夫多妻制や一妻多夫制を婚姻制度として採用している国や民族だって存在するわけだから、複数の人を愛することを罪として断罪することはその国に住む人たちの価値観をも断罪することになる。多様性を認めようとする現代のトレンドからは逆行することになるだろう。

そう考えるといずれ重婚を認めようという流れが起こっても不思議ではないと感じる。むしろ今まで起こらなかったことの方がおかしい気もする。同性婚の流れは2000年代に入ってからのものだと考えると、重婚制度のほうが歴史的に古くからあるわけだから、順序的には重婚を認めようとする動きの方が早く起こったとしても不思議はない。

では、嫌悪感を感じるのは重婚ではなくて不倫の事実なのか?この場合の不倫とは一夫一妻という制度の上で成り立つ倫理観の中でそれを破ろうとする思惑のこと。一定の倫理観の中で生きるコミュニティの一員がそこから外れることに対してはしばしばバッシング的なものが発生するが、その始点となるものが嫌悪感の正体か。

倫理的な秩序を見直す動きに対して、それを秩序の崩壊と捉えると嫌悪感を抱くのではないか?これは仮説としては面白いのができたかもしれない。

同性婚への流れは異性と婚姻しなければいけないという秩序を見直す動きであり、それに反対する人はそれを秩序の崩壊と感じ嫌悪する。
重婚への流れは婚姻は必ず一対で結ぶものだという秩序を見直す動きであり、それに反対する人はそれを秩序の崩壊と感じ嫌悪する。
どちらの考えが進んでいるとか進んでいないかの差ではなく、何を秩序として重きを置いているかによって反発の方向性が変わるということなのだろう。

そう考えていくと世間で起こっている不思議な騒動にも合点がいく。

たとえばアイドルが結婚する時に大バッシングをする人がいるが、それはその人にとっては秩序の崩壊なのだ。本来なら一夫一妻制の国なのだから、「多くの人に愛を振りまいてないで一人の人と結婚する。いいことじゃないか。おめでとう!」なのだが、熱狂的なファンからすればそんなものは日本国が勝手に敷いた秩序なだけであって、アイドルとファンの秩序には関係のないことなのだ。熱狂的というくらいだから狂っているのである。彼らは自分に正直なので国の制度や秩序などはどうでもよくお構いなしなのだ。

いろいろ思考をめぐらせたが、書いてみてすっきりした。
今回はこのあたりで終わりにしよう。


ちなみにタイトル画像で使用したオシドリ。常に仲睦まじそうにしているようなイメージだが、シーズンが終わると毎回のようにペアが変わるという。よくよく考えると生涯を添い遂げるという倫理観からも解放された存在だ。



ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー