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ちぃころさんのnoteを読みました

あなたのnote読みます

思うところがあり始めたこの企画ですが、ちぃころさんとのDMのやり取りは特に思い入れの深いものになりました。公開でやり取りするnoteと、非公開で読みあう文章のやり取り、これは想像していたよりも勝手が違うことに今更ながら気付く結果となった。一つの区切りを経て、私はこの心模様を第三者に伝えたいと思い、今ここに文章を書いている。

話し合った結果両者お互いの承諾を経て、ここに少しばかりあの時のDMのやり取りを公開したいと思います。

ちぃころさんからのDMはとても丁寧な依頼文でした。
簡単に説明すると、どうしても一つに絞り切れなかった二つのnote。感想は一つでも良いので是非お読みくださいとのことだった。

一つ目は、煙草について書かれたというエッセイ。

ご自身の嗜好を書いた記事だとのことでしたが、意図せず沢山の反応を頂いたとのこと。これを読んで欲しいとのこと。私は一読した後こう応えました。

煙草のエッセイですが、これは口説きのエッセイですね。
男はどうしようもなく繊細な生き物なので、自分の弱さを責められることにはめっぽう弱いですし、自分の弱さを許してもらえると安心します。
一つ物語をお伝えします。
昔、酒に酔わないと女に告白もできない男がおりました。
酔った勢いでしか女に愛の言葉も囁けないので当然もてません。でもある日、とある女性が男に声を掛けます。
「私は酔って電話を掛けてくる男、好きよ。私だってそうだもの。でも思うの。酒の力に頼らず声を掛けれる日が来るといいねって。」
男は一発で落ちました。恋に落ちたのではありません。
憑き物が落ちたのです。
それ以来、酒の勢いで女性に声を掛けることはしなくなりました。
以上、これは今考えた創作話ですが、こういった人間の本能に沿った文章は人の心を揺さぶります。
反響が大きかったのもきっとそういったことが要因でしょう。

二つ目は「砂漠を愛している」というエッセイでした。

この文章を唐突に書きたくなって、ちぃころさんはnoteを始めたそうです。その時の気持ちを彼女はこう私に伝えました。「砂漠に行ったことない方にも砂漠に興味を持っていただくことをゴールとして書きました」

とても素晴らしいnoteでした。私はすぐには返信せずに時間をおいてお返事を書きました。

「砂漠を愛している」拝読いたしました。とても感銘を受けました。
noteを始めるきっかけとなった文章とのこと、だとしたらちぃころさんの書くことの原点ですね。
エッセイの形式をとられていますが、詩文の色が濃い作品だと言えると思います。
これはとても大切なことです。人間の生きること、その中心には必ずポエムがあります。理屈を超えた飛躍が言葉として心に浮かぶ時、その言葉は全てポエムとなりえます。
ドイツ語で詩人はディヒターと呼ばれるそうですが、詩人以外の意味に未来を予言する人という意味があり、とても尊敬されているそうです。確かそんなことがヘルマンヘッセの『車輪の下』の後書きに載っていたように思います。きっとちぃころさんは砂漠の光景に生命の生と死を感じたのだと思います。ところで砂漠の夜空は綺麗でしたか?
この世の一番美しいことは澄み切った空間のその先にあるそうです。
夜空は黒ではありません。現実に人間が想像もできないほどずっと遠くにある星の光がこちらに届くほど空というのは澄んでいるのだそうです。とまあこれもヘルマンヘッセが言ってました。
“砂漠に行ったことない方に砂漠に興味を持っていただくことをゴールに書きました。”このようにちぃころさんはおっしゃいましたが、ここで僭越ながら一つだけアドバイスさせてください。
私はこの経験をちぃころさんの大切なものとしてnoteの1ページに留めておくことをお勧めします。そして大切な人がちぃころさんの人生に現れたなら、その人と一緒に砂漠に行ってみてください。
それがこのnoteの生まれた理由のように感じます。

そして、ちぃころさんから帰ってきた返事が次の通りだった。
正直この企画をたてて良かったと心底よかったと感じるに至った。

仲様
夜分に申し訳ありません。いま、仕事から帰宅しました。
早速お読み頂けてとても嬉しいです!そして、感銘を受けたなんて...書いた意味がまた増えました。
確かに、感情と言いますか、表現したい何かがある一定の域を超えた時、それは文の形では表すことができなくなり、詩や、何か唄みたいなものに乗せなければ表現出来なくなる。そんな気はしていました。その何となく感じていた感覚を、仲さんの言葉でまたひとつ知りました。これは、理屈を超えた飛躍なのですね。
ドイツでの詩人の役割は、他の国に比べて段違いですよね。私もクラシック音楽をやっていた時期が長く、多くの作曲家がゲーテの詩に感銘を受け曲を書いていたことを少しだけ存じていました。でも、未来を予言する人とまで言われているとは。素敵ですね。
砂漠の夜の空は綺麗でした。そして、どこまでも球体でした。地平線ギリギリまで、空全体に星が散りばめられているようだったので、そこで初めて空は上にあるだけではなく、横にある。つまり丸いんだと気づけたのです。その球体の線に沿って、天の川もまぁるく曲がっていました。
そうですね。空から星の光が僅かに届くことを、私たちは当然だと思いがちですが、それは空が限りなく澄んでいるからなのですね。素晴らしい気づきを、ありがとうございます。
大切な人を砂漠に連れて行ける日まで、大切にnoteの中にひっそりと温め続けます。その日が今から待ち遠しくてたまりません。

彼女には教養と研ぎ澄まされた感性があった。

ちぃころさんが砂漠の夜で感じたこと、それは『天球』の概念だった。
誰に教えられたわけでもなく、星が天体に張り付いた球状のように動くさまをじっと感じ取ったということである。それが中学3年生の時だとのことだったので、この時彼女は若干15歳のはず。それを素直に覚えていてnoteを書き始めたのだと思うと私は心がキュッとなるのでした。

こういった文章での交流が今後も続くことを期待しています。

TwitterでDMをくださいましたら、あなたのnoteを読みに参ります。全部が全部対応できるものでもありませんが、お互いが敬意をもって接すればきっと良い交流になるものと思います。


#あなたのnote読みます

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー