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noteで毎日更新がしんどくなってしまった時に読んでほしいこと

あのね ちょっと思ったんだ。
『ネット上に自分の思いを打ち明けるなんて恥ずかしくてできないよ』って状態からnoteを始めた人もさ、ようやく仲間ができてくると、一念発起して『よし!毎日更新してみようかな』って気になるよね。

たぶんめっちゃ楽しいと思う。自分の目の前に新しい世界が広がったように感じると思うんだ。私もそうだったからね。

そして周りを観察してると三日坊主の人もいる中、大体だけど30日連続で更新を続けられた人はそのまま100日くらいまではひょいひょいとイケるんだね。まぁこうなってくると半分習慣みたいなもんになってくるから書かないと気持ち悪くなっちゃうんだと思う。

ここまでくるとね、"書く習慣の定着化"という意味ではとっても良い事なんだけれども、度を過ぎるとどうしてもしんどくなってしまうから気を付けたほうが良いと思うんだ。

毎日の習慣って、とても怖いもんなんだよ。特に『毎日更新の記録を達成できないと駄目だ』って思い込むようになると心配だ。そこからは努力じゃなくて依存症の段階。
いずれ身体を壊しちゃうよ。
きっとある日 糸が切れたように動けなくなっちゃう。

継続性のある頑張りができる人ほど陥りやすい罠だと思う。これはnoteに限らず全ての習慣において共通の原理原則だ。人間の本質は怠惰である。ゆめゆめ忘れてはいけない。

創世記を読んでみると良い。あの神でさえ七日目には休んでいるのだ。休まない人間なんて長いスパンで考えれば必ず壊れるに決まっている。当然の帰結だよね。

例外的に継続的な頑張りを延々と続けられる人がいるが、よくよく観察するとそういう人ほど上手く休んでいるものだ。これは本当だよ。
しかし、もしもその人が夢とかのニンジンをぶら下げ、「こうなりたければ毎日休まずに努力し続けようよ。休むことを考えている暇など人生にはないよ。」などと過度な努力をまわりに吹聴したとすれば中々のペテン師であると私は思うよ。

なぜならこういった進言の多くは結果的には他者への応援にはなりえない。それどころか破滅につながるからだ。しかも達成感を感じながらのゆるやかな破滅なので自分では気付き難い。

そして休まない人間はいずれ自分で考える力も失う。だってそうだろう?そもそも自分で休むという判断も出来ない人間がまともな思考ができているわけがない。
しかも恐ろしいのはまともな思考じゃなくても、その人が考えた先には何かしらの答えが出てくるってことなんだ。それが正しいか間違っているかに関わらずにね。そして考えた先の答えを正しい物と信じ込むようになる。
人はこれを狂気の沙汰という。

だから我々が本気で考えるべきポイントはどこで休むかをしっかりと決めることなんだ。これはnoteに限らないよ。仕事でも育児でもなんでもそうさ。

◇◇◇

さて、ここまで読んだなら貴方の目から見て私のnoteはどう見えているだろう。ちなみに今160記事ほど投稿している。

毎日更新している筆まめな人と映ってるだろうか?

いやいやよく見てほしい。
実はほぼ毎日なだけで、更新していない日もちょこちょこあるんだよね。
スクロールしなくても読むことができるショートトークの時もある。

更新できなかった時?

それは知人と遅くまで飲んでて日付を跨いでしまったり、子供を寝かし付けている間に自分が寝てしまったりと、更新できなかった理由はさまざまなんだけどね。

でもね、何食わぬ顔で書き続けてるの。

すると何となく続けられるんだ。
これがnoteを続けられる秘訣だよ。

え?更新できなかった日は悔しくないのかって?
特に悔しくはないよ。
この日はあんな理由で書けなかったんだなって具合に空白の日付のnoteを眺めてるのも感慨深いもんさ。残っていない記録にもその人の記憶は宿っていたりするものなんだ。

毎日更新が滞ってもあなたの価値が損なわれることはないんだよ。

できればカスタネットみたいに生きたいよね。
「打って・打って・休んで」みたいな

#毎日更新 #note

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