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「関西の人って何に反応するの?」って訊かれた。

情報発信について、池松潤さんと話をしてたんだけど、「結局関西の人って何に対して好意的に反応するの?」って尋ねられた。

何にと言われても私も困るけど、関西以外の人からすると本当に何だかよくわからない様なので、ちょっと考えをまとめるためにもnoteを書いてみることになった。

ひとしきり考えたのち、私は「関西の人は、キャラ立ちしているものが好きなのだ」という仮定に思い至った。

キャラ立ち。これは難しい概念である。池松さんにも初め「目立ってれば人気者になれるってこと?」と質問が入ったんだけど、それは違うのである。

「キャラ立ち」と「目立つこと」は全く別の概念である。

ワル目立ちする関西人が一定数いらっしゃるお陰で日本全国の人からお調子者が天下を取るのが関西だと思われがちだがそれは大きな間違いである。
関西では目立ちたがる人に対して『いちびり』という烙印を押し、けちょんけちょんに貶すというれっきとした文化がある。

『いちびり』とは簡単に言うとお調子者だと見なされることである。関西ではこの『いちびり』の烙印を押されると這い上がれないぐらい袋叩きにあう。しかし、ここで頭三つぐらい飛び抜けたお調子者になると「なかなか大したいちびりやな」と称賛されることになり別格扱いされるのだが、そんな人は全人口の0.01%の稀有な存在なので例外と言っても良い。

対して「キャラ立ち」は決して目立つことが前提ではない、その人物のキャラクター(個性)が綿密にしっかり設定できていれば、それは認めるという文化である。
賑やかな人がどうしても目立ってしまうので陰に隠れてしまうが、関西にも物静かな人はいる。物静かであることが嫌われる要素になることはない。物静かであっても『物静かなやっちゃなー』と周りが認めれば、物静かな人として、その場で物静かに生きていて良いという権限が与えられる。
冗談のように思うかもしれないが本当にそうなのである。

だから首都圏の人が醸し出す「関西の人はこういう雰囲気が好きなんでしょ?」というあのガチャガチャした雰囲気は実はかなりデフォルメされた姿なのである。快く思っていない人も4割ぐらいは居る(残りの6割はそれすらも面白がっているが、、)。
よって外部の人がガチャガチャした雰囲気で大阪の市場に土足で乗り込んでくると袋叩きにあう。

袋叩きにあう人の典型は友好の証として関西の好きそうな雰囲気を醸し出そうと近付いてくることであるが、それは逆効果である。すかさず「いちびるんじゃねーぞ」と大いに威嚇されることは容易に想像できる。
中途半端な関西弁なんかはタブーである。
関西の人は恐いとよく言われるけど、元々そういった地盤があるのだ。

だから関西に乗り込んでくる時は、素のままで来たらいいと思う。そのキャラがしっかりと確立されたものであるなら、優しく迎え入れられるだろう。逆に関西の雰囲気に媚びへつらう様な態度を取ったなら間違いなく弾かれてしまうだろう。

関西の人に好意的に受け入れられるコツは「何者」なのかをハッキリさせることである。別に有名でなくていい。何をする人なのかを堂々と見せればそれでいいのである。

ただし、お調子者をその旗印に揚げるならそんじょそこらのお調子者なら即座に『いちびり』認定されて終わってしまう。それだけは確かだ。

#関西

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