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市場原理のことと生まれた価値を愛するということ【価値と価格の話】

名前が似ているだけでまったく別々の概念ってあるよね。
特に価値と価格の話はややこしい。
名前が似ていることもあるが何となくこの二つが一致しているように錯覚してしまうのはなぜだろう?

モノやサービスを手に入れる為に相対的に金額に換算したらこれぐらいのものだろうと設定されるものが価格であるのに対して、モノやサービスの価値は本来独立独歩であり貨幣的な価値がつくとも限らない。そしてお互いに変動的である。

この前提条件はとっても大切で、有形無形に関わらずありとあらゆる価値を販売する者は全て頭に叩き込んでおかなければならない。

販売市場において誰かにとって10円のものは誰かにとって100万円である。

実はこれ、販売者がいくら付加価値をつけようが同じなのである。もう一度言う。
あなたがどれだけ付加価値をつけようが誰かにとって10円のものは10円のままである。

もう一つ別の真理がある。
取引はお互いの意志で決定できるし、不可逆である。

他人があなたの作ったモノやサービスに対して「10円の価値しか認めない」と言ったとする。
当然だがあなたはその金額に納得できなければお断わりすることができる。逆に認めてしまえばそれで個別契約は成立する。後戻りはできない。それが取引だ。

例え どれだけあなたが時間と丹精を込めて作り出したモノやサービスであっても取引が成立したその時点であなたの手もとから契約先へと移り、10円はあなたの手もとにやってくる。それだけだ。

あなたにとって100万円の価値があると思っていてもその個別契約では10円になる。

ここからが落とし穴だ。
その経験からあなたはこのモノとサービスは10円の価値しかないとあなた自身が勘違いした場合悲劇がおこる。
次の個別契約で100万円で販売できる可能性をあなたが自ら手放してしまうのだ。

もう忘れてしまったのか?
誰かにとっての10円は誰かにとっての100万円なのだ。そこに生じている差には何の因果関係もない。
シンプルな真実はいつも忘れ去られがちだ。

これは作家さんも忘れがちなことだが、自分の作品の価値はまだ売るに値しないと考える人がいる。
それは違う。
それはあなたがただ自分の作品に納得していないだけの問題だ。
そのあなたが自分で未熟だと感じているモノは誰かにとってはお金を払ってでも得たいモノである可能性もあるのだ。

あなたはあの未熟さも含めてあなたの生み出した価値を愛さなければならない。

あなたが自分で愛せなかった作品は他の誰かのもとで愛される可能性もある。

ただただお金を通じて価値を交換するのが貨幣による取引だ。お金は汚いものではない。本来は美しいものだ。

◇◇◇

さあここからが本番だ。
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