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壊れちゃった人の優しい言葉

今日はちょっと分かりにくい話をする。
一回壊れちゃったんだけどこっちに戻ってこれた人の言葉はどこか優しかったりすると言う話だ。

これを諦観(ていかん)と呼んで良いのかは分からない。

事故でも病気でもいい。
どうにもならない先に偶然生かされてしまった。
そこで感謝できる人はいいんだろうけれども、一度でも完全に生を諦めた人なら分かると思うんだけど、基本からっぽになる。
努力もクソもない。たまたまポツンと残っただけ。

そんな人は
何に感謝していいのかも分からず、
怒ることさえ忘れてしまう。
怖いという気持ちもあんまりない。

そんなだから一見して穏やかなんだけど、
人の気持ちから離れてしまっているから、時に人を傷つけてしまう。
傷付いてしまった相手を見てあらためて気付くんだ。自分の壊れ具合に。

そんな先には笑いしかなかったりする。

◇◇◇

でもこれじゃダメだなと再起をはかる。
再起をはかるといってもただ生きているだけなんだけど。

不思議とその姿は立派だったりする。

そんなだから 人に頼られることもある。
そんなとき壊れちゃった人は「こっちに来ちゃいけないよ」と言う。

「いいから引き返しなさい。こうならない内に、、」

心に器というものがあるならば、継ぎきれていない隙間から垂れ落ちる水を相手に見せるようなものだ。

その先に何があるか?

ある人はこぼれる器で何度も水をすくい、人に分け与えるだろう。そしてこう言う。「この器で水を飲みなさい。遠慮はいらない。どうせこぼれ落ちてなくなってしまう水だ。」と、、

そんな人は驚くほど滑稽でちょっと笑えて、それでいて泣けるほど優しかったりする。

#エッセイ

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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー