彼女は改札の向こうで小さく手を振る【 #恋愛小説 】

恥ずかしい話だが、自身の奥手な性格もありそれまでの人生でろくすっぽ恋という恋もせずに三十路を迎えた頃、私は親の勧めるがままにお見合いを三回続けた。これはもう十年ほど昔の話だ。そこから1年後には結婚式をあげているわけだからそのお見合いは無事に成立したわけであるが、三度目のお見合いを思い出す時私はいつもあるシーンが目に浮かぶ。

なぜこんなことを書き始めたのかといえば、ひょんなことで人様から「お見合いって事務的なイメージがあるんだけど、恋愛の様なドキドキ感はあるのか?」と訊かれて一瞬立ち止まってしまったからだ。私は記憶の糸をたどる。

今の妻と初めて会ったのは待ち合せ先のホテルのロビーだった。先についた私は併設された喫茶スペースで席に着いてコーヒーを飲んでいた。そこに26歳の女の子がやってきた。丸顔のすこし背の高い、幼さ残る女の子。これがはじめに抱いた彼女への印象だ。

仲人さんを介して他愛もない会話をした。

30~40分もすると仲人さんは席を立ち、「後は若い二人でご自由に」とデートを促す。三回目ともなると慣れたもので、私は彼女を連れ、近くの公園に散歩に出かけた。近くの公園と呼ぶにはあまりにも巨大なその公園は外国からの観光客と多くの鹿でにぎわう世界的にも有名な公園だった。

ヒールのある靴を履いた彼女が歩きまわるにはあまりにも広すぎる公園、もう耐えがたく、開始早々近くの県立美術館に行くことで落ち着いた。二人ともたいして歩きたくなかったのだ。

さて、美術に疎い二人だったが、ただ時を一緒に過ごすために絵画を観て過ごす。どう考えてもしんどいことが予想された。どの絵を観ても二人ともピンと来ないもんだから、ついにはキャプションをみてその絵画が分かったかのようにふるまった。それが精一杯だった。それでも美術館を一周する頃にはその作家の一生が少し見えてくるから不思議だ。その作家が誰に影響を受け、どのように傾倒したかがその一周に集約されて展示されているわけだから当然といえば当然か。

でも、その小さなキャプションが二人の距離を縮めてくれた。その小さな文字を読むために自然と二人は肩を寄せ合う形となったのだ。これが私達にとって意味合いが大きかったように思う。たまたまお見合いという縁でつながった二人、とはいえ男女の間である。肩が触れ合うほどの距離にややドギマギした。

胸の高鳴りを誤魔化すかのように小さなキャプションに書かれた文章を茶化しながら読んだ。照れ隠しと言えば照れ隠しだが、美術に素養のない二人は大喜利することで時間をともにしたのだ。

楽しい時間になった。

鑑賞した絵画を思い出せなくても隣にいる彼女の顔は思い出すことができる。
それが私たち二人の初デートとなった。

◇◇◇

美術館をあとにした私達はそのまま歩いて駅に向かった。いつもよりも残念に思う。なぜならデートの時間はもう終わりだから、この駅までの徒歩の距離と時間、それが二人に残された最後の時間だった。

だってお見合いだから。

お断りならもう次に会うことは無い。言葉を交わすことも何もなく、仲人さんから「ご縁が無かったようで…」と声を掛けられて終わりだ。振られた瞬間、親にもその事実が知れ渡るのだからデリカシーも何も無い。それがお見合いだ。

私は電車に乗らないから、ここでお見送り。

改札が見える。彼女が切符を買った。

「今日はありがとうございました。」とお互いに挨拶する。素っ気ない挨拶だ。改札機に彼女の買った切符が吸い込まれる。その切符を追いかける様に彼女が改札機の向こう側へ行くのを私は黙ってみていた。

そこで彼女は手を振った。それがさよならの合図なのか、また会いましょうの合図なのかは分からない。私も手を振った。

いつものお見合いだったら、ここまでで終わりだった。

踵を返すと私は後ろ髪引かれる思いでその場を後にする。『彼女は楽しい時を過ごせただろうか。さっぱりわからない。』そろそろ改札から更に地階へ降りていっている頃だろうか。私は振り返った。

すると彼女はまだ階段の前で待ってくれていた。

こちらに気付くと、「お!」という表情になり、笑顔を見せるともう一度小さく小さく小刻みに手を振ってくれた。

もうめっちゃ遠くにいるから、めっちゃちっちゃく見えるの。でも小さな手の振りが何よりも大きく見えた。

人と人との縁なんて正直よく分からない。ましてや男と女となればなおさらだ。でも不思議と分からないなりに予感めいたものが降りてくることがある。

私にとってのそれは、あの時の目を細めるほど遠くからの小さな手の振りがそうだったのだと思う。

一年後に、二人は結婚式をあげた。

お見合い結婚でドキドキしたかどうかを訊かれたら、やっぱりドキドキしたと答えるだろう。

今でもあの彼女の手を振る姿が目に焼き付いている。

#恋愛小説

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何故ガラにもなくこんな恋愛小説を書いたのかと言えば嶋津亮太さんのイベントでそういう話の流れになったからだ。

いまとても恥ずかしい。



ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー