しらゆきさん

母との思い出、日々感じたことなど書きたいことをだらだらと綴るための場所。

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最近の記事

母とサルコーマ++2話目++

前回 地元クリニックから総合病院に救急搬送された母。わたしと父は車であとを追いかけました。 余談ですがわたしの地元は救急車がサイレンを鳴らして走っても平気で横切ったり停車して道を塞いだりしてくる輩がわりと目につくことが多い土地です。それまではうわ~…と横目で見ている程度だったのですが、やはり救急車に乗っているのが家族だと俄然憎しみが違いますね。救急車がきても止まる習性のない方へ、見ず知らずの誰かから恨み憎しみを浴びせられていることに気づいてきちんとマナー、ルールを守ってく

    • がんの「トンデモ治療」について思うこと

      こんにちは。 最近雨が降ることも多くめっきり寒くなりましたね。夏の暑さが長く続いたこともあり一年の中で一番かわいい秋服が今年も暇をもてあますことになりそうです。残念の極み。 今回は表題の「がんのトンデモ治療について」思うことをだらだら書いていきます。 最近、お医者さんがクエン酸を飲んだりビタミンCを摂取したりしてがんを消すという治療法を信じている方がいることを「義務教育の失敗とは思いたくないが…」とおっしゃられているのを目にしました。 率直に違和感がありました。 義

      • 母とサルコーマ++序章++

        わたしの母は、子宮平滑筋肉腫という病気と闘っていました。 最期まであきらめず、血圧が60台にまで下がり飲み込む力が弱くなってもなお「次の抗がん剤がきっと効くから」とわたしたちに笑いかけてくれて、手を握ってくれた姿が今も脳裏に焼き付いて毎日のように思い出されます。 「家族のために生きる」 手帳に力強く記していた、そんな母の闘病記録です。 #1 予兆?~クリニック入院母に不調があらわれたのは40代最後の年だったと記憶しています。まだ閉経を迎えていなかったため月経は周期ど

        • 体調の変動について~自分編~

          おはようございます。(夜中) Twitterでのサルコーマ啓発月間にあわせてnoteを開始しましたがさほど綴らないままに期間が終了し自分のだらしなさに鬱々としております。 さて、啓発については母の治療の経緯や各薬剤の副作用などに触れていこうと思っているのですが今回はわたし=患者家族の体調変動についてまずお話したいなと思います。 注意点です。 ①あくまで私のお話です。みんながみんなこうなる、この症状がでたらこれ!と決めつけるものではありません。 ②おかしいなと思ったら

        母とサルコーマ++2話目++

          7月はサルコーマ啓発月間

          サルコーマ、という言葉をご存知でしょうか。 わたしのメルヘンでかわいい母は、2011年に子宮平滑筋肉腫と診断されました。サルコーマ、骨や軟部組織にできる悪性腫瘍の総称。 希少がんです。 希少ゆえに、どこが原発になろうと全体的に有益な治療法がまだまだ確率されておらずもがきながら懸命に患者さん、先生、みんなが手を携え頑張っている状況です。 母が宣告を受けた2011年は、それこそ最も確実だといわれている方法が外科手術であり抗がん剤については三種ほどしか使用できるものがありま

          7月はサルコーマ啓発月間

          母の夢と、わたしの目標

          わたしの母には少しばかりメルヘンな一面があったように思う。 例えば手持ちの洋服、小物などには小ぶりながらも必ずフリルやリボンがなければ不満であったしマイホームを建てる際にも請け負ってくれた地元のおじいちゃんたちがやっている小さな工務店に対して"ヨーロッパの石畳の町並みに映えるようなレースのなみなみカーテンを吊り下げるとかわいい出窓"を要求し非常に困惑させた。母の好み全開に作られた庭には薔薇のアーチが鎮座している。ちなみに母考案、わたしの名付け第一候補は「エリザベス」だった。

          母の夢と、わたしの目標