何が正解?正しい?自分の思うままに突き進む「燃えよ剣」

前回に引き続き、司馬遼太郎の作品がテーマです。厳密に言うと、「燃えよ剣」というよりこの本の主人公である「土方歳三」について考えました。こちらのタイトルにもありますが、自分が置かれている状況の中で、(特に誰かに言われたときとか)「あれ?もしかして自分っておかしいのか?間違っているのか?」とふと思ってしまうことってありませんか?そのようなことを考える上で、ぜひ参考にして頂きたいと思います。

まず、どのような本なのかですが、舞台は幕末です。世の中的に倒幕のながれが強くなってきた時代、幕府側のいわば切り札的な存在だったのが新選組という組織でした。この新選組という組織を作ったのが土方歳三とその幼なじみの近藤勇です。組織として組織長が近藤勇で、副長として土方歳三だったのですが、実際戦略を立てたり仕切っていたのは土方歳三で、「鬼の副長」とも呼ばれていました。この二人は実は元々は武士ではなく農民出身です。ただ組織を作り、あれよあれよというまに力をつけ、幕府の切り札的存在となりました。(話変わるようですが、倒幕側の主役といっていい長州藩の主要部隊も武士以外も集めて作った奇兵隊でしたね。まさに下剋上の時代でした)

この時代というのは、何が正義か?という視点で(特に有能な人ほど)動いていた人が多いように思います。狡猾、因循姑息な幕府を倒すべし、外国を日本から追い出すべし、などなど。しかし、「勝てば官軍」という言葉もある通り、たまたま倒幕側が勝ったので、そちら側の吉田松陰や坂本龍馬が英雄のように取り上げられますが、もし幕府側が勝っていたなら、とんでもないテロリスト的存在として終わっていたでしょう。

ただ、土方歳三は何が正義、正解で動いていないように思います。ただただ最強の組織を仲間と共に作りたい。その一心で動いていました。司馬遼太郎もとんでもなく頭がきれると評していた土方歳三、おそらく彼だからこそ、物事の本質を見抜いていたのではないでしょうか。その時、その状況によって何が正解やら正義やら変わっていく。ならば何を求めるのか、このようなシーンがあります。「男の一生というものは。美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」美しさ、、価値観、信念とも置き換えてもよいのではないのでしょうか。土方にとってはそれが仲間と共に作り上げる最強組織、新選組だったのでしょう。だからこそ、手段を選ばず、ひたすら強さを求めていったのです。

自分が大切にしていること、熱中していることが、何か世の中とずれていたり、他人と違っていると感じてしまうことがあるかもしれません。ただ、それはその時代や状況によって変わるものです。自分がそれと信じれるものでしたら、周りに影響されることなく突き抜けていいと思いますし、そうするべきだと思います。ましてや他人にそれを強制させる権利は誰にもありません。そんなことを考えさせてくれた、土方歳三でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?