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機会が来るのをじっと待つ

組織の中で動いていると、
「本当は、こうしたいのに…」ってヤツが、
すごくよく起こる。

例えば、誰かの「これ、こうしてもいいですか?」を聞く立場だったりするとき。
それが大勢に影響ない、言ってしまえば〝どうでもいいようなこと〟だったり、〝現実対応〟っていう便利なコトバで説明がつくようなものだったりすると、わりとあっさり「いいよ」ってしちゃう。
たまに、「いいよ」のさじ加減が難しいなぁって思うこともあるけど、それでうまくいくなら、「いいよ」って言った自分が少し考えればいいのかなって思ってる。

例えば、「こうすべきです。こうしましょう」ってする、自分が発議をしようとするとき。
これがなかなかいろいろある。

自分のところの組織じゃないほうが、気を遣わなくていいから簡単かもしれない。
極論を言えば、人のところだと遠慮しないで正論言っとけばいい(笑)

では、自分のところでの本当の意味で「本当は、こうしたいのに」はどうするか。

それはたぶん、人のところで正論を言うような真っ向勝負じゃないんだろうと、最近すごく思う。
「虎視眈々と、節目を待つ」。
きっと、これが大事なんだと思う。

組織って、リーダーの方針がすごく強く方向性を打ち出すわけで、基本、それを「汲む」ようにして、より具体的なコトを考える。

話をさいしょに戻して「本当は、こうしたいのに…」というヤツ。
『その方針、違うんじゃないんですか』と直球で言うんじゃなくて、「さぁ、これはどうしようか」と投げてくれるときが必ずあるから、〝そこ〟なんだと思う。

これ、「待ち」の姿勢が長くなるから、人から見ればまどろっこしい…んだろうな。
でも、この「待ち」という、ひとつの「ぬいしろ」的なヤツが、組織をうまくまわしていくんじゃないかなと思ってる。

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