「大黒摩季 夏が来る について


平成時代の歌謡曲についてXで呟いたのでもうちょっと掘り下げてみようと思う。決して暇な訳ではない。さっき一曲新曲の下録りを終えたし夜も遅いし朝も早い。けど、多分今を逃したら二度と書く事はないと思う。別にどうでもいいような内容になるだろうけど構わない。最近日記も書いていないし、適当に精査せずに文章を書くのも悪くないだろう。

先日、近所の定食屋で昼飯を食っていたら大黒摩季の曲が流れた。彼女は僕の母親と同じ大学の出身だと母から聞いた事がある。僕の少年時代には街中の色んなところで曲が流れていたのもあって僕も大抵の曲は覚えていたし近所のレンタルCD屋さんの中古販売でシングルCDを何枚か買ったりもしていた。といってもそれだけで何十年も経った今もふと流れてきた曲に合わせて歌う事が出来るのは不思議だ。カラオケには全く行かないし、上手に歌う事なんて全く出来ないと思うけど一応歌う事が出来ると思う。

それは大黒摩季だけではない。WANDSもZARDもなんならDEENだって歌う事が出来ると思うし覚えてもいると思う。少年期に覚えたものは忘れないというが。それだけではない秘密があるような気がして気になって文面上だとどういう構造になっているのだろうと思ってネットで大黒摩季の「夏が来る」という曲の歌詞を検索してみた。


以下、転用


近頃周りが騒がしい 結婚するとかしないとか…
社会の常識・親類関係 心配されるほど意地になる

私が好きになるぐらいの男には当然 目ざとい誰かいて
お見合い相手の付録に 一瞬グラっとするけど
One More Chance!! 本気の愛が欲しい

夏が来る きっと夏は来る
真っ白な馬に乗った王子様が
磨きをかけて 今年こそ
妥協しない アセらない 淋しさに負けない

「何が足りない…。どこが良くない…。」
どんなに努力し続けても
選ばれるのは あぁ結局 何も出来ないお嬢様

物事いろいろ知ってしまうと 瞬発力が無くなるもので
運命の人だと思っても 経験が邪魔して素直になれない

価値観・将来・etc…を話し込んだならイイ友達にされそう
愛してる…なんて本気でHしたら その日から都合のいい娼婦扱い
マジメなだけなのに

夏が来る いつも夏は来る 両手広げて待っている
年をとるのは素敵なコトです
イジけない ネタまない 間違ってなんかない
こんな私を可愛い奴だと 抱き締めてくれるのは
優しいパパと親友だけ
そういえばママもお嬢様

夏が来る きっと夏は来る 頑張ってるんだから絶対来る
恐がられても 煙たがられても
諦めない・悔しいじゃない・もう後には引けない
「何が足りない…。どこが良くない…。」
どんなに努力し続けても
残されるのは あぁ結局
何でも知ってる女王様

それでも夏はきっと来る

私の夏はきっと来る



ふむ。夏が来て恋をしたい。というような事を歌った曲だと思っていたのは浅はかだったようだ。子供には恐らく分からないであろう人生の時間の推移を恋というモチーフを投影して書かれているのだろうと察した。特に「年をとるのは素敵なコトです」という部分。彼女のファン層は分からないが恐らく当時の同年代の女性に支持されていたのだろう。配慮しているのか共感を求めているのかは分からないが、ぐっと聞き手に対して歩み寄っている印象がある。話は変わるが平成の歌謡曲には謎の英文が入ったりする。「One More Chance!! 本気の愛が欲しい」と歌っているが、「もう一度チャンスを!本気の愛が欲しい」では野暮ったかったのだろう。それにこういう手法が流行っていたのだろうし。まあ、それはいい。

少年心に「夏が来るー」と季節感のある爽快な曲だと印象に残っていたが、恋愛と人生に対する焦燥を歌った曲だとは思っていなかったので愉しい。彼女が今も歌っているのか、もし歌っているのならば今もこの曲を歌っているのか調べるほどの余力はないけれど、明日にでも一度改めてまた聞いてみようかなと思う。

聴き込むというのはもっと別の次元の話で音楽に対して検証するという事も好きではないけれど、少し探ってみるのはいいかもしれない。また機会があったら書きたい。

夜が更けてきたので眠る事にする。

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