僕とN君に対する考察

2018年、僕とまめ君は僕とN君の5日間というツアーを行った。その旅を終えた後に僕は「僕とN君」という曲を作った。今年、僕は僕の音楽のアルバムを創りたくて制作に入っている。その中で書くべき事があるような気がして書いている。今夜も夜は深くて静かだ。


僕自身の事なのに今では記憶の中にしか存在しなくて、まるで夢の中だったかのように思える事がある。けれど、それは実在して、現実にあった事なんだろう。日を追っていく事に蜃気楼の中に消えていくように薄らいでいく気がして少し怖い。何かの出来事が起こった時に実感を持って思い出すのかもしれないけど、今は実家にあったような古いアルバムの中の写真を覗いた時みたいに実態の無い感情として僕の心の中に存在している。

照明を消した自分の部屋の中でマンションの下の階から差し込んでくる光が反射して壁の一点を照らしていた。ファンタジー小説が好きだった僕はその光の円が違う世界へ僕を導いてくれるんじゃないかって本気で思っていた。それ位に夜は深くて静かで感情の行き場所は見当たらなかった。好きな女の子はいたけど、その距離は遠くて、やっぱり一番大切なのは友達だよな。って思ってみたりしたけれど、その全てを捨てて、別の世界に行けたら素晴らしいのに。とも思っていた。

日付を越えた後くらいに家の中が完全に寝静まっているのを確かめて忍び足で廊下を歩いて、こっそりとドアを開けた。ひんやり注ぎ込んでくる夜の空気の中に僕は足を踏み出した。深夜の住宅街はとても静かで、それは光の輪とは違って現実に何かが始まりそうで体が震えた。冬の冷たさにセブンスターはとてもよく似合うから隠し持っていた煙草に火をつけていつも行っている近所の公園に向かった。不良少年すらいない都会の中の無人島のような場所は極端に言えばUFOとの交信基地のようで、グラウンドの真ん中に座って、地方都市の深夜に広がる星空を眺めていたら感情は淘汰されて名前のないものになった。溢れてくるものの殆どは意味をなくして、自分の心の底を知らなければいけないような気持ちになって怖かった。

両親は愛情深い人であったと思う。しかし、今思えば致命的に気が合わなかった。恐らく少年らしい憧れが全身を支配していた僕と両親の愛による僕への心配は圧倒的に価値観が違った。そして歩み寄る事は誰にも出来なかった。それは少し後になって、手に取れる問題となって家の中を支配していった。僕の中から言葉が消えて感情が薄らいでいった。そこではない場所に僕は全てを求めた。学生生活最後の夜、友達と騒いだ夜の中で未来を楽しみにしている自分がいた。これから全てが始まるのだ。と思っていた気がする。

夜の逃避行は徐々に距離を伸ばして、ある夜の海に辿り着いた。帰り道、雨が降ってきて僕達はずぶ濡れになった。僕には友達がいたし、感情を全て譲り渡しても構わないと思える人がいた。壊れた自転車で傘を差さずに歩いた中での笑顔の中に浮かんだ感情が愛だと信じた。

部屋の窓を叩く音、友達がやってきて外へ飛び出していく。深夜の街は徐々に身に染みて当たり前になった。実際には何もする事がない。何もしていない毎日の中で飽きもせずに話をしていた中で積もっていくのは灰皿の中の吸殻だった。楽しかったけど、幸せではなかった。パズルは穴だらけのままで、そこを埋める事は出来ると信じていたけど、少しも確証なんてなかった。


僕の中にはかつて僕がいた。それはいつだって僕に求めて続けてきた。生き方の指示があり、生活習慣からの逸脱を求めて、常に恋を求めた。それは自分に疑問を問い掛けるというのとは違って、確かに何かがあった。人によって、それは魂と呼ぶのかもしれないし、思想と呼ぶのかもしれない。自我なのかもしれないし、幻想かもしれない。けれど、そいつの事を大切に思いたかった。

近所のトンネルの中で目を閉じて眠った事、寒さに震えながら泣き崩れたドアの前、直視出来ずに友達を裏切ってしまった事、ただひたすらに机の上で書き留めていた言葉、それらは誰にも言う事はない。ただ、そこにあった温度や空気を音楽にしたいんだ。

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