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考察 2 高円寺とかじゃなくて
目覚め時、小山はひとりだった。
昨夜は楽しかった気がするが、そんな日の翌日は決まってだらりと寝てしまう。
さっきまで部屋の中に誰かがいたと思うけど、今は誰もいない。昼下がり。この時間帯にひとりなのは悪くない。逆に夜は誰かといたい時が多い。安心感に似た感情。それは突然焦りを含んだ感情に早変わりする時もあるけど、今は大丈夫。少し頭が痛む気がするし昼からビールでも飲んでやろうかなと思う。
高円寺の街に住みだして何年目だろうか。アパートの契約を2回更新したから。もう5年も経つ。大学生の時に上京するにあたって高円寺以外に住む事は考えられなかった。この街に住めば何かが始まるって思ってたんだ。
と。なんとなく書いてみたけど、これではワクワクしていない自分に気付いた。実体験を書いていた方が文書に対して誠実な気がする。
休日の深夜。今日は殆ど建設的な事が出来ていない気がして眠る前にスマホを開いてこれを書いているが、物語は無理に構築されるものではなくて、そこに自然と運ばれていきたい。
では、どうしたらいいのか。
考えても答えが一瞬で見つかる訳もない。
来週高円寺に実際に行く機会があるので、その時に時間を見つけて駅近くのサンマルクカフェで文字を綴ってみようと思う。
思えばサンマルクカフェも昔はなかった。
過去の話を書きたいのか未来の話を書きたいのか、それも不明瞭だ。ただ自分が書くべき事、記すべき事に静かに耳を澄ましてみたい。
道は開かれるだろうか。
現実に出会ってきた人達の未来を勝手に考察して空想の話を書くのは、どうやら僕はしたくないみたいだ。それではなんだろうか。過去を公開するような文章を書きたいのだろうか。
多分それも違う。
書きたいという気持ちだけでは作品は生まれない整頓された文章を目指すのではなく、しっかりと導かれるものに耳を澄まして踠いて踠いていつかふと気づくのかもしれない。
必ず何かがあると信じられるが。
先は果てしないのだろう。
見つけられるといいけど。
入り込めるといいけど。
そういえば最近僕は腰を痛めた。
昔は腰なんて痛くなかったなあ、と思ったけど中学生の頃から痛がってたっけ。そんな事すら忘れてしまう。記憶は都合良く現実の中で変換される場合もある。
だからこそ物語の根本は忘れないために。
教訓や考察の為に何かを書きたい訳じゃない。
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