ふたつめの小説 第一話

「春が光る 弥生の丘に 白木蓮の花が匂うよ」

小学生の頃、全校集会などで校歌を歌う機会があったのは僕だけではないだろう。中学になった頃には歌わなくなったけれど、あの頃はみんなも歌っていたし僕も歌っていた。まさか自分が音痴だなんて気づかなかったし比較的大きな声で歌った。何度も何度も歌ったから大人になった今も覚えている。


「春が光る〜♪」と口ずさみながらライブハウスの階段にある小窓から差し込む光を眺める。恥ずかしいなんて気持ち、前はなかったような気がするなあ。少年だった頃をぼんやり懐かしんでいる間に光は角度を変えて首筋から移動して胸辺りを照らす。リハーサル中の音が聞こえる。今は17:00くらいだろうか。測定不可能な位、この場所に座ってきたから、光の差し込み具合で大体の時間の検討はつく。腕時計は持っていないが携帯電話で時間は分かるからとポケットを弄ったけれど見当たらない。どうせどこか近くに置いてあるだろうから大丈夫だ。誰からも連絡は来ていないだろうし。


ライブをやって誰かが聞きに来てくれるという事は奇跡みたいな事に思える。その奇跡の恩恵に随分預かっていない。今夜も終演後に店長に冷たい目でお客さんの取り置きの紙を返されるのだろうか。申し訳ない気持ちはあるけれど、どうにも出来ない。恥ずかしいような気はするけれど、どうしていいかも分からない。


隅っこに誰かが置き忘れていった弦が錆びたギターがある。取り上げて弾いてみる。いつものコード進行。最初にこれが出来た時は天才だと思ったけれど今ではそれが手癖だと感じるようになった。そこから離れる事が出来ない。確かに響きは良いけれど、どこかで聞いた事があるような気がする。そこにどこかで聞いた事のあるメロディーを乗せる。そして最後に何か言葉を当てはめる。自分の音楽ってなんだろうなって考える必要はない。いつかそこへと導かれるはずだと信じている。ジーパンの膝の部分は大きく破れていてズボンとしての機能を成していない。Tシャツには昼飯に食った豚丼の染み。上着は新しい服を買いたいけれど金がない。というか今日の精算分のお金もないからまたサラ金に行かなければならない。誰かがサラ金はATMだと言っていた。僕も同意したいところだけれど、もう限度額近くまで借りてしまっている僕は限定的なワンダーランドを強制的に追い出されそうだ。もっと働かなきゃなと思うけれど、何の為に働くのかよく分からない。ライブのノルマを払う為にバイトを増やすってなんかおかしい気がする。でも、どうしておかしいのか考えてもよく分からない、答えはどうにも見当たらない。


昔、父親が言っていた。ぼーっと過ごしていると頭の中で霧が侵食して何も考えられなくなってしまうぞって。関係性は決して良好だったとは言い難いから反抗の代わりに僕は教えを黙殺して背中を向けた。彼の言っていた事を分かりたくもないが、今ではなんとなく分かるようになってしまった。そしてそれを促進させるように1日に何本も煙草を吸う。その行為は自由の象徴のはずなのに、あまりにも回りくどく身体機能に侵食していく。血管が詰まったような気怠さで階段から立ち上がる事が出来ない。そろそろリハーサルの時間だから行かねばならない。肩と腰の繋目の肩甲骨の辺りを拳の硬いところでゴリゴリと刺激する。左足を伸ばして階段の何段か先へと伸ばす。知らぬうちに光は灰色の影に隠れて感じられなくなっている。楽しい事を考えなければならない。エレキギターを限界まで歪ませて打ち下ろすAメジャーのコード。いや、Aadd9にしよう。テンション音のDの音がKeyだ。そしてBm7、C#9、最後はDメジャーだ。コード進行の中で自由に僕は叫ぶ事が出来る。あの場所に立てば言いたい事ならすらすらと出てくるはずだから。

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