140文字ではなくて1000文字で

隣の学生が虚無に包まれたような話をしている。
僕はマクドナルドのポテトを一心不乱に口に運びながら小説を読もうとしている。

しかし、集中しきれない。彼らの話が耳に入ってくるからだ。全然聞きたくはないのに無個性である程に音声は霧のように浸透してこようとする。

大学生であろうふたりの男達。恐らく同じ大学の女子の話をしている。あいつからLINEが返ってこないと片方の男が言った。

相槌を打つ相方にも別に興味のある話題ではないのだろう。会話は宙を舞って机の上に落下する。
その余波が僕の小説にも掛かっているようで芳しいとはいえない気持ちになる。


僕は大学には行っていないが、20歳前後の頃はあった。そんな頃、友人とどんな話をしていただろうか。よく覚えていないけれど、多分彼らと変わらず空虚であり虚無と共にあったのだろう。


故郷で実家に住んでいた頃、深夜になると時々友人が僕の部屋の窓を叩いた。友達の取り立ての免許と彼の実家の車で短距離ドライブに出掛けた。一通り街を周ってからガソリンスタンドのドトールで煙草を吸いながら話した。何か話すべき事があったのだろうから腰を据えたのだと思うけど、やはり恋の話とかバイトの話とか、金がないとか。そういう話題で夜は更けた。

時々、話が将来の展望等に進む事もあった。そんな時、僕達は海まで車を走らせた。防波堤に座って、またもや煙草を吸いながら、人生の取っ掛かりを夢想しつつ描き始めた年頃の僕達はこれからの事を少し話した。翌日の朝、仕事が早いわけでもなかったし、体が疲れているわけでもなかった。金は全然なかったが、脳味噌だけは元気で想像力の翼は寡黙な夜の恐怖を突き抜けて希望や期待への足取りが許されているような気がした。


そして僕は本を読んでいる。最近読む本の主人公といえば中年の男女が主役の本が増えた。自分で意図してそういう本を選んでいるのかは分からないけど。村上春樹を初めて読んだ時のような気持ちで川上未映子の描写に目を走らせる。読む作家は変われど相変わらずどうしていいか分からない事はある。夕方18時過ぎ。東京、高田馬場。

窓から春らしい紫に染まる夕暮れが見えた。
体は重かったけど、頑張らなきゃなと思った。

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