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草刈りという仕事

僕の実家はそこそこの農村で家の周辺はほぼ田んぼ。家の周辺や畦道の草刈り、樹木の剪定、村の溝掃除なんかを定期的に頼まれる。うちは小さな子ども三人+妊婦、土日はゆっくり休むというわけにもいかず、それなりに色々とある。実家の用事まで頼まれるのは、妻の機嫌にも影響するため以前はあまり気乗りしなかったのだが、父は他界しており、何でもかんでも母に任せておくわけにもいかない。

というわけで先日は、長女と次女を連れて実家に行き、母に二人を見てもらっている間に草刈りをした。

草刈機の操縦は簡単そうに見えて意外と職人技的な作業だ。慣れるにつれ、だんだんわかってくる。暑いし面倒だし、さっさと片付けてしまおうなんて考えてると、全然きれいに刈れないし、単調な作業にイライラが募るだけだ。

あとどれくらい?とか先のことは考えず、足元の草に集中する。草の生え際をよく見て、勢いよく回転する刃を地面スレスレに這わせる。ゆっくり丁寧に、半歩ずつ。そうしているうちに僕の歩んだ後にはきれいに刈り込まれた道ができている。

以前はせっかくの休日に面倒な仕事だ、としか思っていなかったが、今ではこの作業が好きになっている。汗が滴るのを忘れ、時間の経過を忘れ、いつしか邪念も忘れ没頭している。マインドフルネスとはこういう状態かもしれない。

自分の職業上の仕事と違うなーと感じるところは、来た道を振り返ると自分の歩んだ足跡、良くも悪くもありのままの実績が目に入るところだ。創出した価値がわかりやすく目に見えるのはやはり嬉しい。

そして一仕事終えた後の冷えたポカリは何物にも代え難い充足感をもたらしてくれる何よりの報酬だ。虚業と実業という分け方をするなら、草刈りは間違いなく実業ど真ん中だ。

ああ草刈りで生計を立てられたらな〜なんて馬鹿げた妄想をしながら心地よい眠りに入り、月曜にはまたマスクを着け、通勤電車に乗り込む。