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先バレ音が鳴らなくて

中野のパチ屋で1円貸しのリゼロの先バレ音を待つ。アイフルから「今回はお客様のご希望にお応えすることができませんでした」と連絡が届いた。台のカード返却ボタンを押す。このカードの中には僕の大切な大切な、400円が入っている。


「それで今までうまくいっちゃってるから、"そんな感じ"で生きてるんだよね」みたいな事をたまに言われる。「一回、痛い目見た方がいいんじゃない?」と言われる事もある。たぶん親切心で言ってくれているのだろう。僕はこの人と一生関わっていたい、と思う。

宙に漂う時間意識、土壇場での足掻き、整然としない生活、そのどれもに自覚はある。いや、本当は自覚していないのかもしれない。だが、もし仮に、僕が僕でないとして、人から「彼はどういう奴だ」と聞かれた時には「ADHDにもなれないガラクタみたいな奴です」と答えるだろう。

「先バレ音」とはパチンコ玉がヘソに入賞した瞬間に鳴り響く至福の爆音で、大当たりの予兆的な役割を担う。「当たるかもしれない」という高揚が神経を伝達する瞬間であり、この蠱惑的な音を聞く為に、日本全国のパチンカーは冷たい機械の前に座り、地蔵の様に耐えて契機を待つわけだが、僕の台にはどういうわけか、先バレ音が訪れなかった。

パチンコ台から抜き取ったカードを精算機に入れる。ジャラッと出てきた4枚の百円玉を財布にしまっている時に、遠くの方で先バレの音が聞こえた。僕が座っていた台だろうか。近くの台では細いジャージを履いてシュッとした感じの大学生が13連して、出玉表記が燦々とした虹色に光っていた。

「それで今までうまくいっちゃってるから、"そんな感じ"で生きてるんだよね」この言葉を言われた時に、心の中で思う事がある。「うまくいかなかったことなんて、数え切れない程ある」破滅的な失敗は枚挙に遑がない。人生の大事な局面、嗚呼たぶんこれ俺の未来が多少決まるやつだな、という問題に直面した際、歯切れの悪い有耶無耶な努力で、切り抜けてないけどとりあえず生きてる、みたいな状況になってしまう事が多々ある。それは決して、うまくいってる等と言われるクオリティではないし、僕から見ればあなたの人生の方が何千倍もうまくいっている様に見える。当たり前だが。

パチンコ屋のホールで耳を澄ませる。様々な機種の様々な先バレ音が鳴っているのが分かる。その音は多様で、それぞれに個性があった。流行りのダイバーシティ(diversity)というやつだろうか。
先バレ音は、肯定を告げる鐘だ。この音を聞く為に金や時間という対価を払った人間が、無為な時間に耐える努力をした人間が、物事に対して本気になった人間が、その過程を全肯定される福音である。そんな劇的な瞬間が日本のパチンコ屋のホールでは常日頃訪れている。

僕の台からは先バレ音が聞こえない。鳴ったためしがない。いつになったら鳴るんだろう。アコムに行く必要があるのかもしれない。

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