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家賃二万の家には、ゴキブリが何匹いるのかゲーム

前編はこちらから ↓ (読まなくても今回のお話は読めます)

ハンサムなのにいつも服に精子がついているコンドウさんの家に泊めてもらうことになり、二人で夜道を歩いていた。

家に向かう途中、一抹の不安はあった。僕は寝られさえすれば比較的どんな場所でも気にならない方なのだが、なにせ相手はあのコンドウさんである。凡人のチンケな想像など、余裕で下回ってくる可能性は大いにある。

間もなく家に着くらしい。ふと、コンドウさんの家にゴキブリは出ますか?と聞いてみた。「出ないよ」コンドウさんは静かにそう答えた。僕は少しだけ安堵したが、その言葉を丸丸信用する気にはなれなかった。なぜなら間も無く前方に見えてきたコンドウさんの家は、どうやって地面に建ってるのか分からないくらいのボロ家だったからだ。こんな家、東京にあるんだ。阿佐ヶ谷ロマンティクスもバンド名をつける前にこの家を見ていたら気が変わったかもしれない。震度2でも倒壊しそうだ。そして、約束されたかのようにめちゃくちゃ汚い。ゴキブリがいない理由がない。

その瞬間、僕は名案を思いつた。「じゃあ、ゴキブリが一匹いるごとに僕に五百円ください」そうコンドウさんに提案した。とても人の家に泊めてもらう身分の発言とは思えないが、アナーキーな大学生同士のやりとりなので寛大な心で許してほしい。案の定コンドウさんもその賭けを面白がって了承してくれた。よほど自信があるようだ。一方に得しかない不条理な賭けも成立したところで、いよいよコンドウさんの家に入る。

ドアの前に来た。家賃は二万円ちょいらしい。ここは一応東京であり、嘘みたいな安さに緊張感が高まる。そんな物件にゴキブリがいない筈がない。しかし、コンドウさんは嘘をつく人ではない。体は臭いけど嘘はつかない人だ。だとしたら何故。とそこで、ある仮説が浮かんだ。「もしかして、家にゴキブリは出ているが、コンドウさんが気が付いていないだけなのではないか?」これならば合点がいく。コンドウさんは常人ではない、服に付いた精子だって無視する人だ、だから部屋にゴキブリの一匹や二匹出たところで、それらはコンドウさんの意識の外なのかもしれない。点が線で繋がった瞬間だった。小狡い僕は賭けの条件を微修正した。「ゴキブリって一匹いるとその部屋には巣も含めて三十匹いるって言うじゃないですか、だから一匹でも見つかったら一万五千円ください」そう提案し、コンドウさんはそれも二つ返事で了承した。

賽は投げられた。部屋のドアに手をかける。コンドウさん、あなたと違って僕はたとえ赤ちゃんゴキブリ一匹でも見逃したりはしない。一般人の感覚というヤツをこの機会に教えてあげます。たまたま今日だけ出たみたいなことでも、アウトです。ガチャリ。勢いよくドアを開けた。


まず僕の視界の中だけで、少なくとも十匹以上のゴキブリが見えた。


とりあえずドアを閉める。今すぐコンドウさんに聞きたいことがたくさんあった

ていうかえっ、どうやったらあんな発生するの?あとコンドウさんなんでめっちゃ嘘ついたの?

溢れ出る疑問は止め処無い。そんな部屋でコンドウさんはどう暮らしているのか。なぜ放置したままなのか。そして、コンドウさんはどんな勝算があってこの賭けに乗ったのか。

衝撃的なブラクラ部屋を見てしまい凝固する僕を尻目に、コンドウさんは焦りもせずにすすすと部屋の中に入っていった。日常なんじゃん。その入り方、日常じゃん。恐る恐る僕も中に入っていき、部屋を見渡す。四方の壁全てにゴキブリが大量に蔓延り、数える気力も失せるほどだった。その夥しい数は、賭けの精算をする射幸心をも摩耗させた。しかもゴキブリは通常、物音や人間の動きに反応して逃げたり隠れたりするものだが、ここのゴキブリ達は違った。なんというか、彼らは人間を完全に舐めていた。チース今晩もやらしてもらってまーすみたいな大胆さで自由気ままに活動している。ゴキブリ対策の製薬会社の人は開発実験をする時にはここでやったらいいと本気で思った。

そして阿佐ヶ谷2万という家賃で大方察しはつくと思うが、部屋はめちゃくちゃ狭かった。4畳ほどだっだと思う。部屋の奥にはお相撲さんが三万回位寝たようなクタクタの布団が敷いてあり、それが部屋全体の半分を占めていた。唖然とする僕をよそに、コンドウさんは慣れた動作で腰を下ろした。

コンドウさんの部屋は驚くほど物が少なかった。ただ少ないだけではない。ミニマルという言葉では成立しすぎる、人の心を不安にさせる雰囲気を有していた。具体的に何が足りないと指摘できないが、生活を送る上で絶対になければいけない何かが根本的に無い、間違い探しの様な部屋だった。

かと思えば、押し入れには大量の名画のDVDが綺麗に積み上げられている。コンドウさん渋い映画めっちゃ見るんですね、と言うと、来る人をビビらせたくてとりあえず大量に買っただけで、ただの一本も観たことがないという。たしかに僕はコンドウさんの思惑通りに一瞬だけビビってしまったが、そんなことをわざわざしなくても、ほとんどの来客はまず大量のゴキブリにビビってくれるだろうし、ゴキブリにビビらない客でも今回と同じ流れでコンドウさんが真相を言うだろう。このギミックに何の意味があるんだ。

部屋見学も終わり、コンドウさんと多少の雑談をした後に寝ることになった。部屋が狭すぎる為、コンドウさんの布団で二人添い寝をしなければいけない。相変わらず人間を舐めたゴキブリ達はせわしなく活動している。僕は体の露出を少しでも減らすためにできる限り服を着込み、布団に入り込んだ。寝転ぶことで、部屋全体を見渡せるほど視界が広くなった。そのおかげで、この部屋に来てから史上最大数のゴキブリが目に入ってくる。どう考えても尋常じゃない数だ。電気を消す。蛍光灯の薄明りで黒光りする無数のゴキブリ達。プラネタリウムみたいだった。本物のプラネタリウムとの相違は、一つ一つの星達が人間を不安にさせる独特な速度で移動していることだ。あと星じゃなくてゴキブリだ。

僕は最大の心配を口にした。寝る時にゴキブリって口の中に入ってきたりしないんですか?と聞くと、コンドウさんは「来ないよ」と少し失笑しながら言った。なんで笑ったの?そしてもはやコンドウさんの言葉に信用度は全くないのだが、その時の僕は1ミリの希望にすがるしか道はなかった。

お金がなくこの家に泊まる以外の選択肢はなかったが、お金があってもこのままコンドウさんの家に泊まっただろうと思う。もちろんゴキブリは恐怖だったが、こんな家でコンドウさんがどんな顔をして寝るのかが知りたかったからである。この状況をコンドウさんの中でどう折り合いをつけて眠りにつきやがるのか、気になって仕方がなかったのだ。右のゴキブリめっちゃ近づいて来ましたね、僕がそう話しかけると、もう返事はなかった。コンドウさんは非常にスムーズに入眠していた。流石家主である。寝返りを打つこともなく綺麗な直立姿勢のまま、寝息一つかかない静音で、スウとご就寝なされていた。

ようやくゴキブリとの対面にもある程度慣れ、闇夜に照らされたコンドウさんの寝顔を見ると、ハッとさせられるほどの美形だった。阿佐ヶ谷二万の大ゴキブリ部屋で、神木隆之介似の美男子が、綺麗な体勢で寝ている。不思議な状況だった。美形に生まれたのだから、別の世界線もあったかもしれない。コンドウさんは高校ではバスケ部だったらしい。この容姿でバスケ部、さぞかしモテただろうと思う。その人がなぜ今、大量のゴキブリに囲まれ汚い布団で寝ているのだろうか。コンドウさんが獲得し得たかもしれないパラレルワールドの輝かしい(と思われる)富と、今現実に布団を共にしている生意気な後輩の存在価値は、天秤に掛けられていると言ってもいい。わりといい迷惑である。

そもそも神様はどうしてコンドウさんを美男子にしたんだろう。たしかにこんなに綺麗な顔ならば、汚いモノを好むゴキブリは寄り付かないのかもしれない。僕は口を思い切り締めて、コンドウさんに寄り添い寝た。藁にもすがりたい思いで、ゴキブリからの逃避を試みたのである。忘れてたこの人めっちゃ臭いんだった。鼻もつまみたかったが息ができなくなるので我慢した。

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朝が来て、目が覚めた。不思議なことにゴキブリ達はみんな姿を消していた。僕は、恐らく日本屈指のゴキブリハウスで就寝することができたのだ。人間が持つ適応力に喫驚すると共に、コンドウさんの生態を少し観察できたことが嬉しかった。

目覚めてから家を出るまでのことはよく覚えていないのだが、家に帰りすぐさま風呂に行ったことだけは覚えている。その日はただお湯に浸かっただけで、真人間になれた気がした。

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