見出し画像

無敵だったナリタブライアンを「お見送り」したウマ娘の話

ウマ娘のメインストーリー4章が更新された。
元々脚本や演出の出来が抜群に良いウマ娘のメインストーリーだが、4章には特にやられてしまった。
あまりの衝撃に一日経った今も油断すると目頭が熱くなってしまう。
4章のメインキャラクターは、ナリタブライアンだった。

※この記事は4章のネタバレを多分に含みます。

画像2

メインストーリーについて

「ソシャゲのストーリーなんか全スキップ安定」な諸氏のために軽く紹介する。
ウマ娘のメインストーリーは、ゲーム版オリジナルのチーム「シリウス」のメインキャラクターをそれぞれ入れ替わりで描写している。1章はメジロマックイーン、2章ではライスシャワー、3章はウィニングチケットを中心に。

競馬を知っている人ならある程度世代を区切りながら話が進んでいることがわかるので、4章はナリタブライアンかマヤノトップガンではないかとはよく噂されていた。どの章でもしっかり史実をなぞりながらスポ根ドラマとして熱量高く仕上げてきたアプリ版ウマ娘なら、ブライアン、マヤノどちらのキャラでもそれぞれに見応えのあるドラマを繰り広げられそうではあった。

画像4

ウマ娘のメインストーリーにおける、史実のキリトリ

マックイーンは91年天皇賞(秋)での進路妨害による降着処分を起こしている。アプリ版メインストーリーではそれ以降の戦績低迷をキャラクターの心理的な挫折になぞらえて表現し、トレーナー(プレイヤー)とチームメンバーとの信頼関係構築をストーリーの軸とした。

画像24

1章クライマックスのレース演出は91年有馬記念の2着。勝利は果たせなかったが、天皇賞(秋)とジャパンCと続いた不調を覆すきっかけとなるレースとして見応えのある演出で描かれる。アニメで描かれた92年天皇賞(秋)は盛り上がり的にはほぼ後日談的な扱い。トウカイテイオーは名前に触れる程度で、その姿は出てこない。

マックイーンの話を主軸に考えた時、テイオーのキャラクターはあまりにも大きすぎてマックイーン単体の話がブレを起こしてしまうと判断したのだろうか。
現実問題として「マックイーンとテイオー2人のドラマ」としてはTVアニメ版がしっかりその役目を握っていたから、そこと被らせないようにという配慮もあったのだろう。それにしても大胆な采配だと思う。しかし、見終えてみると不思議とこのやり方は効果的だ。挫折からの飛翔でキレイに話がまとまっていて、マックイーン一人のドラマとしてスッキリ違和感なく楽しめた。アニメ2期を存分に楽しんでハードルを上げていた身としても「なるほどアプリ版もアリだな」と思わせるに十分な構成であった。

画像22

2章のライスシャワーもまたアニメ版で存在感を強く出していたキャラだったが、アプリのメインストーリーではより一層彼女のキャラクター性に深くアプローチしていた。
ミホノブルボンの偉業を阻んだことから競馬ファンの落胆を買う…という描写そのものはアニメと共通だが、アプリ版のライスシャワーはアニメのように「ヒールじゃない、ヒーローだ」と自分を鼓舞するようなことはしない。周囲の声に傷つきながらもただ粛々と勝利を目指し、そしてチームメイトでもあるマックイーンすらその歯牙にかける。
自己肯定感の低いライスシャワーは、勝利を求めることでしか満たされない、しかし勝利しても祝福されない…という業深いジレンマで苦しみ続ける存在として描かれ、物語は95年天皇賞での復活劇をフィナーレとする。2年間のスランプを経ての復活劇で盛り上がりのタイミングとしては申し分ない。
実馬のライスシャワーがその後レース中転倒で安楽死措置となったため、天皇賞をラストにせざるを得ないという合理的判断はあったろうが、それにしても物語の感動曲線のコントロールをしっかり握っていると感じる。個人的には、史実を変えて幸福なifを描いたアニメ版サイレンススズカと好対照になる描き方だと思った。悲劇の寸止めだからこそ、ライスシャワーのキャラの儚さがより際立って感じられる。特にオート再生ではエンディングシーンの音楽とのシンクロ度合いが神がかっており、コンシューマーゲームでもそうは見られないレベルの丁寧な演出でコーティングされていると思った。

画像25

この後、現実に控えているドラマを知っていればこそ、このシーンの輝きは何倍にも増して美しく感じられる。

3章は一転して底なしに明るい感激屋であるウィニングチケットを主人公に添え、ビワハヤヒデとナリタタイシンの友情物語として比較的コメディ色の強い展開だった。
ジャパンカップを目指し連勝を重ねるウィニングチケットだったが、自分の中で肥大化した大舞台へのプレッシャーに押しつぶされてしまいそうになる。しかし最後にはその憧れを力に変えて友と競い合う…という、爽やかで前向きなキャラが主人公だからこそ、シンプルな挫折が自分ごとのように響いてくるストレートな青春物語だった。ジャパンカップのレース描写は群を抜いて熱さがあり、見た目の荒々しさに反して優しい劇伴が重なるところなど「涙腺の緩ませ方をわかっている…!」と思わされた。

画像26

メインストーリーは全体的に挫折→復活、というテンプレート感はあるものの、スポ根であればその幅の中でいかに差別化するかの勝負であろう。基本的には史実レースをそのまま再現しつつ、キャラごとの個性の差異はしっかり際立っていて「またこの展開かよ」と感じることはなかった。どんな挫折も、どんな復活も、キャラが違えばそのプロセスはちゃんと違うのだ。


さてそして4章ナリタブライアンである。

画像4

ナリタブライアンの栄光と影

4章冒頭はナリタブライアンが94年皐月賞のレースに勝利するシーンで幕を開ける。1章のオグリキャップラストランを思い起こす展開に加え、暗く落とした迫力あるトーンの映像はナリタブライアンの規格外の強さを掻き立てる。

チームに所属して既に一定時間が経過している設定だ。その後チーム加入時の回想も差し込まれるが、ピーク時の描写を急いでいる感はある。

画像29


案の定、物語中盤手前で「ビワハヤヒデの故障」が差し込まれる。ナリタブライアン絡みのエピソードとして外せないのは分かるがどうもペースが早い。
個別のキャラストーリーでもナリタブライアンとビワハヤヒデは「互いが互いを超えられない壁として認識している」姉妹であるが、現実にはこの2者は直接対決の機会を持てずビワハヤヒデが先に引退してしまう。
そのフラグをわざわざ揺らすということは、メインストーリーはおそらくナリタブライアンとビワハヤヒデの対決が実現するかどうかを軸にするのではないか…と思われた。

画像5


しかし実際には想像よりもずっとしんどいシナリオが展開されることとなった。

容赦のない「でも勝てない」ラッシュ

94年有馬記念を勝利し、G1を5賞するという栄誉を勝ち取ったあとの故障。メインストーリー4章はこれを中盤から後半かけてかなりの尺を割いて描いていた。これがひたすらに重い。重い上に、ブライアン自身は事実をありのまま受け止めるストイックなキャラのために感情が爆発するシーンに乏しく、プレイヤーは状況の重さをかなり直接的に受け止めることになる。

例えばマックイーンもライスシャワーもそれぞれに悲劇のドラマを抱えてはいるが、ウマ娘が「自分の好きなキャラといつまでも親しみ続けたい」ゲームである以上、登場キャラが永遠に可能性を閉ざすような描写は避けなくてはならないという都合がある。だからアプリ版ではマックイーン繋靭帯炎のエピソードも避けているし、ライスシャワーの宝塚記念での安楽死も描かれない。(マックイーンの繋靭帯炎はアニメ版では描かれるが、そこからはテイオーのドラマにバトンタッチし、テイオーの復活劇にマックイーンが心震わせる…という展開でうまく絶望を霧散させている。ダメ押しで最後に『また走れるようになったマックイーン』の可能性を示唆して終わる。史実をしっかりなぞりつつ、その後に希望のifエピソードを付け足すという手法だった。)

つまり、競走馬のそもそもの存在が揺らぐような事件がある場合、ある程度のところからはうまくifの世界につなぐか、そもそも描写を避けるのがウマ娘のアニメとアプリ共通の作劇セオリーと言えるだろう。


だがナリタブライアンはその匙加減がちょっと難しいのだ。「かつての勢いがない」「まるで別の馬のようになってしまった」とまで言われるほどに精細を欠いてしまった実馬のナリタブライアン。(言葉は悪いが)落ち目になった状態である。ウマ娘のメインストーリーはその事実を避けることなく、レース時系列に沿ってかなり丁寧になぞってくるのだ。
メインストーリーのマックイーン、ライスシャワー、ウィニングチケット、いずれのキャラも不調の時期を経験することにはなるが、ナリタブライアンのそれは単純な怪我後の不調としてではなく「もう以前のようには走れない」ことを1レース1レース、描写を重ねてユーザーに伝えてくる。完治して元に戻る…という展開が望めないことをユーザーに執拗に念押ししてくるのだ。

画像7

怪我からの復帰自体は順調であることをしっかり描写するからこそ、レース結果が伴わないことがなおさら切なく感じられる展開である。

画像28

画像27

ケガのリハビリ中も関節に負担がかからないように筋トレを続けた。そんな復帰戦の天皇賞(秋)で12位の惨敗。


ペース配分も丁寧に配慮した万全の体制でのジャパンカップ。6位。

画像29

鉄面皮とも思われたブライアンが涙ながらに「私にはもう重賞レースに出る資格がないとでもいうのか!」とトレーナに詰め寄る熾烈なやり取り。そんなブライアンの思いを正面から受け止め、改めて信頼関係を強固にする…一般的には、次のレースで勝つ伏線になりそうなドラマチックな展開だ。

しかし95年の有馬記念は、4位。


勝てない。勝てない。勝てない。


かつて当たり前のように一位を取り続けたナリタブライアン。93年から95年頭まで驚異的な勝利数を重ねてきたブライアンが、ただただ勝てない。

もしかしてこのシナリオはナリタブライアンの華麗なる復活劇を描くつもりがないのではないか…

そんな疑念がよぎる。史実になぞらえたブライアンの栄光を描くだけなら94年の方の有馬記念をクライマックスにすべきだった。
この4章は一体どこを落とし所にしようとしているのか、全く読めない…

「ウマ娘」が95年の有馬記念で描きたかったもの

特筆すべきは、95年の有馬記念の描写である。
いつもは飄々としたムードメーカーとして描かれるゴールドシップが悲痛な表情でナリタブライアンを応援している。それほどに勝利が見込めないレース展開。

画像18

以前のような鋭い走りができず、それでも今の全力を使い果たさんと必死の形相でコースを走るナリタブライアンの姿。


勝てない。


マヤノトップガンの独走を許し、後続に次々追い抜かれてゆくナリタブライアン。


勝てない。


トレーナーの独白として「もう、昔のような走り方ができなくなってしまったのだ」という言葉が刺さる。故障ではない。いや、きっかけは故障だったのかもしれないが、体調が万全になり心理的なブレーキがなかったとしても、元の「カン」がつかめなくなってしまっている。ナリタブライアンが一直線で迷いのないキャラ造形をされているからこそ、この展開には説得力が増してしまう。スポーツや芸事で言うところのイップスだ。
「できなくなってしまった」という断定口調。この物語はナリタブライアンの黄金時代がもう戻ってこないことを認めてしまった。

画像19

そんな、どうするんだ。ウマ娘はifを描く希望の物語じゃなかったのか。まさか4章にして普通に悲劇を悲劇として描くつもりなのか?少々露悪がすぎる展開に感じられた。これは輝きを失ったブライアンに対しての死体蹴りに近い…

そんな風に思っていると、一枚絵がズームし、必死の形相で走るブライアンのアップに切り替わる。
こんなにも希望がないレース。それでも諦めていないブライアン。
食いしばった歯が。見開き輝く目が。一切の弱みも見せることなく、ただゴールを目指している。
ブライアン自身だけがこのレースを諦めていないという事実をこちらに叩きつけてくる。

その瞬間、トレーナーのセリフが画面中央に表示された。

画像9

「ブライアン、頑張れっ!!!」

思わず、本当に思わず自分の目から涙が溢れてきてびっくりしてしまった。
ここまでの展開でずっと自分が感じてきたシナリオに対する違和感が、「ブライアンを応援したい」というまったく別の熱量として排出されたことへの驚き。

驚異的な強さだったナリタブライアン、強者感溢れる無頼なキャラクターとしてデザインされたナリタブライアン。
次はどんなすごいレースを魅せてくれるのかという期待を次々に叶えてくれた、そのブライアンに対して容赦なくつきつけられる「でも勝てない」の描写の連続。
4章のここまでの描写は、おそらく全てこのセリフにつながるように組み上げられていたのだろう。

「頑張れ!」

画像20

ユーザーが自発的にブライアンを応援したくなる…現役当時のナリタブライアンを実際には知らない自分が、ナリタブライアンのドラマの当事者に強制的に引き出された瞬間。それがこの「頑張れ!」には詰まっていたと思う。まだ中盤の山場にも関わらず映画のエンドロールのように盛り上げられるオーケストラサウンドが、美しくも悲しい。

レース後、ブライアンは静かに自分の状態を分析する。ブライアン自身がもう以前のようには走れないことを淡々と説明する、悲しくもどこか静かで温かな語り口だ。トレーナーとブライアンは、新たな走法を身に着けようという課題として現状を整理した。チケゾー、ビワハヤヒデ、ヒシアマゾンたちの協力を得て練習を重ねてる描写がほんのり希望を感じさせる。

特筆すべきは、前半では今後のレースの話をされても一貫して「勝つだけだ」と冷たくあしらっていたナリタブライアンが、故障以降、トレーナーやチームメイトたちと今後のレースの話をする時わずかに笑うようになるのだ。無敵ではなくなったナリタブライアンの微笑み。それは諦念なのか、それとも、周囲の人々の力を借りれることを純粋に喜ぶ心の余裕か。あるいは…心の弱さの現れなのか。ブライアンの圧倒的な強さは温かな人間性と引き換えに生じていたものだったのか。その理由は読み手の感性に委ねられている。

そして最終話、芝の3000m、96年の阪神大賞典。

マヤノトップガンは「ナリタブライアンの走りに憧れたが、不調以降のブライアンが以前のようには走れないことにいち早く気づく」キャラとして描かれている。

画像9

天才肌のキャラクターが嫌味なく真実をついてくるという表現で、既にその事を嫌というほど思い知らされたこちら側としては、ふしぎと「わかってもらえている」嬉しさがある。
レース前の会話で「でも、ブライアンさんの熱い想いは消えてない!だからマヤは全力で走るよ!」と語るマヤノトップガン。

ブライアンは自身がどんな状態であっても勝利を求める。マヤノトップガンはその勝利への渇望そのものを大きく評価している…という構図だ。
マヤノは天衣無縫なキャラなので一見ブライアンとは対照的に見えるが、「もっと自分を熱くさせるレースを!」と主張するあたり、根っこの部分ではブライアンにシンパシーを感じていたのかもしれない。

さまよいもがき続ける 果てなき迷宮の果てに

阪神大賞典のレース描写はG2という事もあり全員が体操服で、絵面としてはやはりこれまでのレース描写に比べるといくぶん地味な印象ではある…レースは淀みなく第3コーナーに入って以降のブライアンとマヤノの競り合いへと流れてゆく。
まるで2人の間だけ空間が切り取られて、時間が引き伸ばされたような不思議な感覚になるレース展開だ。(実際のレースでもこの2頭だけが抜きん出て競り合う展開になるのでyoutube動画などで見比べてみて欲しい)

https://www.youtube.com/watch?v=KfFizcIm2jI

そして最後の直線で差し込まれるブライアンの特殊演出。現実のブライアンを差し置いて、心象風景描写として新規衣装に変化するブライアンの姿。
その走り方は全盛期そのものの描写。4章冒頭で描かれた「カメラからブライアンが消え波動だけが残り、まるでワープしたかのように遥か先を走っている」姿と、いま現在のブライアンが交互に入れ替わるように描写される。

画像9

画像11

画像10

画像12

画像13

みなさんは、この演出をどう思われただろう?

順当に考えれば、これはナリタブライアンの気迫がかつての強さを呼び覚まし、マヤノトップガンを気迫で抑えた…というパワーアップ、覚醒演出だろうと思う。並走しているのに既に負けを予感したかのように焦るマヤノの描写が印象的だ。

だが、本当にそれだけが目的であれば、心象風景と現実の風景はもう少ししっかりとシンクロしている演出にするのではないだろうか。例えば「過去のブライアンが今の姿に重なり、今のブライアンが加速する」という演出であったり「過去と今とで気力、気迫だけはまったく変わらない事がわかりやすいように、同じアングルで両者を比べる」など、伝わりやすい見せ方はあったように思える。実際「あれっ?」「えっ?」となった人も少なくないのではないだろうか。(ストーリー試聴動画など見るとそのような反応が実際に多い。新規衣装に驚いただけ…の可能性ももちろんあるが。)

姿勢を低く保って走る独創的なフォームのブライアンと、それができない今現在のブライアンのギャップをわざわざ描写する意図はなんだろうか。過去のフォームや過去の演出をこれ見よがしに再利用するのは悪手だ。今の走り方で勝負するナリタブライアンを否定することにもなりかねない。3章まで幾多のレースを巧みな演出で彩ってきたウマ娘にしては、このシーンはあまりにもカットチェンジが愚直に感じられる。

特に最後の「過去のブライアンが先行して光の彼方へ消えていく」という演出が決定的だ。これはともすれば「過去のブライアンなら既にゴールしていた」という読み取りもできてしまうし、見ようによっては「お見送り」演出である。

これが意図的な演出なのだとしたら、このシーンは「マヤノトップガンすら振り切って勝利したかもしれなかった過去のナリタブライアン」と、「そんなifの話は関係なく、ただただ今このレースを勝とうと愚直に全力を尽くす現在のナリタブライアン」の冷静な比較を含んでいるように思えてならないのだ。ここにきて、ここまできてこのシナリオは、それでもブライアンにはかつての走りはもう二度とできないという事を決定的な事実として叩きつけてくる。(実際のところ、実馬ブライアンはこのあと天皇賞(春)2着と高松宮杯4着の成績で引退してしまう)

画像16

画像16


過去のブライアンが一足先に彼方のゴールへ消えてゆく。アゴを上げ苦しげな(ともすれば見苦しくも見える)現在のブライアンの姿からは、あの独特の低いフォームはもう微塵も感じられない。あの頃のブライアンには手が届かない。今のブライアンには。

レースは史実通りナリタブライアンの一着。

今の全力で勝利を手にしたブライアンを心から祝福する気持ちはある。と同時に、やはりかつてのブライアンは戻ってこないのだという強烈な悲しさが去来する。その上で、ブライアン自身の変わらぬ闘志がその2つのイメージをつなぎ合わせた…という読み解きに耐える展開だ。複雑で重い構造のシナリオだと思う。ブライアンという強キャラのイメージを壊さずに、しかし故障後の成績をありのままに描こうとしたらこんなストーリー展開が取りうるのか…と、感動だけでなく、それ以上に「すごいものを見た…」という放心が勝ってしまった。これだけ執拗にブライアンの走法の変化に焦点を当てながら、このシナリオは一度も「ブライアンは遅くなった」という直接表現は使っていないのだ。だが、見る人が見ればそうとしか取れないような演出が恐ろしく密に重ねられている。

「当時の実力的にはマヤノに分があったが、ブライアンの気迫勝ちだった」などとも称されるように、単純な比較どうこうで語るだけでは収まらない話もあった現実の阪神大賞典。仮に先の演出が、全盛期のブライアンの影がマヤノを追い抜く…というような描写であったら「全盛期のブライアンは明らかにマヤノよりも早かった」と、それはそれで不要な諍いを生んでしまいそうだし、ああいう描き方がギリギリの選択だったのかもしれないとも思う。

ウマ娘のエピソードは全てがもう過去のこと。それぞれの実馬にファンがいるからこそ、その人達を過剰に傷つけないラインで成立する美談にしなくてはならない…かといって勝負の世界をただただ平等に評価されるような優しい世界にしては、競争そもそもの面白さをスポイルすることになってしまう。相当な制約の中で描かれる落とし所としては、この阪神大賞典はこれ以上ない激しさを秘めた描写だったと思えた。

画像21

GII衣装で力強く勝利を誇るブライアンの生き様が、少し切なくも、とても熱く尊いものに感じられた。

「滾り、渇望す」というタイトルの意味

レースが終わり、地下馬道でブライアンはトレーナーに語る。「これまで走ってきた中で一番の走りだった。なぜなら、ここまで勝利への思いを募らせたのは初めてのことだったから。」と。

ブライアンにとって、一番重要なのは勝利そのものではない…それは4章冒頭からブライアン本人が言っていた事だ。その頃は「勝利して当たり前」というニュアンスを含んだ強者の凄みだったように感じられていた。それが4章ラストではまったく違った角度の読み解きができるようになってしまう。

ブライアンにとって、勝つことそのものが重要なのではなく、勝利を貪欲に望み続けること自体が目的なのだと。それがブライアンを熱くする一番の要素なのだ。
純粋にただ走り競うことだけが目的の、強烈にストイックなキャラクター。かつての強さを失ってもその目の輝きが全く衰えない。

勝負の悲哀、それと背中合わせの熱狂をはらんだ渇望のシンボル、永遠の求道者。それがナリタブライアン。そう、誰にだってあるのだ。たとえ成果が伴わなくても、もっと良い自分でありたい、もっと上を目指したい…という、理由のつけようのない衝動が。その情熱の一番濃いところをナリタブライアンは体現してくれている。だから私も彼女の生き様にギュッと胸を締め付けられるような気持ちになるのだ。

画像16

「次のレースはまだか!」

4章の中で幾度となく繰り返されるセリフである。そして最後のそれがほのかに笑顔を讃えた表情であったことに、私の涙腺はまた決壊してしまう。「もう勝てない」と「勝とうとすることに意味がある(少なくともブライアンはそう信じている)」の往復ビンタで、すっかり私の情緒は粉々にされてしまった。

冒頭で「ウマ娘のメインストーリーは、挫折と復活のパターンの中で差別化をしっかり行っている」と書いたが、まさか4つ目にして「客観的に弱くなったかどうかは関係がない。復活したかどうかはナリタブライアンとトレーナーが決めること」という徒手空拳を放たれるとは思ってもいなかった。ビワハヤヒデとの対決に帰結すると予感させた4章のドラマは、ラストにビワハヤヒデが不在でもしっかりと成立する構造になっていた。ここから先のナリタブライアンの未来はユーザーの手に、これからのゲーム内での育成に手渡してゆく…という強度の高いシナリオであった。

ウィニングライブの歌詞が雄弁にナリタブライアンという魂のあり方を物語る。

闇を駆け抜ける 眩しいその光
なぜ 燃えている おさえきれないイノチが今
ただ叫んでいる”生きた証になれ”
熱い魂をたぎらせている それだけ

競うことへのロマン、情熱、悲劇を全てひっくるめた上で、それでも走るのをやめられない…という祈りにも似た筋書きを、ナリタブライアンという一見して繊細さとは程遠いようなキャラデザインから編み出して来るウマ娘のシナリオに敬意と畏怖を感じずにはいられない。

ありがとうウマ娘。おかげで私は昨日仕事が手に付かず一日中泣きそうになってました。

画像17

ナリタブライアンの生き様を描ききった、そのあと、ラストのラストにこの展開を持ってくる…誰もが夢見た、そして絶対に叶わかなった最高のifを持ってくるダメ押しのグランドフィナーレ…姉妹対決がなかったとしても十分読み応えがあった…と思わせてからの、エピローグとして描かれるこのシチュエーション。本当にウマ娘さんは死体蹴りがお好きですね!!!!!

まさかすっかり忘れた頃にこの話持ってくると思わないじゃん…深夜に「ぐおおお…」って調子の悪い冷蔵庫みたいな声上げて泣いてしまったよ…ありがとう…ありがとう………

実馬ビワハヤヒデの命日は2020年7月21日。ウマ娘4章のリリースは奇しくもそのほぼ一年後の2021年7月20日だったことを最後に記し、筆を置く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?