自己紹介〜中学生編〜

どうも、ビアイの西嶋です。
1番好きな麻雀の役は一気通貫です。
この前の生誕から小学生編は見ていただけましたか?
小学校卒業までの12年間を書き起こしたので少し長々と書いてしまいました。
今回は中学の3年間なので少し短めになると思います。
まぁ時間のある時にでも適当に読んでください。



中学に入学しました。
中学入試する気など1ミリもなくそのまま地元の中学に入りました。
まぁ頭が悪かったというのもあるんですけどね。
部活も小学校から引き続き野球部です。
この時にほんと小学生から野球やってて良かったと感じました。
中学で新しいスポーツするってめちゃくちゃ難易度高いですよね。
何をするか考えるのも大変だし、それが自分にあってるかどうかも分からない。
特に何も考えずに小学生からやってたスポーツを続けるのが1番楽です。
将来子どもには小学生から絶対スポーツをやらせた方がいいです。
できればチームスポーツで。



この野球部がめちゃくちゃ強かったです。
まず顧問が甲子園に出場した方でダルビッシュからツーベースを打った人です。
めちゃくちゃすごい。
まじで死ぬまで自慢できるレベルです。
でもおもしろいのがツーベースを打っ後、牽制で刺されてました。
面白すぎるやろ。


2個上の先輩の人数めちゃくちゃいました。
部活内での2個上なんてもうほぼ神様です。
めちゃくちゃかっこよく見えるし、めちゃくちゃ怖いです。
しかも僕たちが入部して初めての春の大会で優勝しました。
正直、神様です。
そんなこともあり3年生が引退するまでは先輩に脅えながら部活に参加してました。
先輩怖いエピソードで言えば、1年生数人と2年生で帰ってる時に、後ろから3年生の先輩が走ってきて、2年生の先輩をぶん殴って帰ってったことがあります。
怖いかつ意味わからん。
後々聞くとじゃれ合いだったらしいですが、さすがに無理がありました。



そんなこんなで3年生が引退し新チームに。
割と顧問の方に可愛がってもらっていたので、かなり積極的に試合に出してもらってました。
でも新人戦は学校態度の問題でベンチ入りできず。
いや、不良では無いですよ。
怒られた内容が学校内で有名なカップルがエッチしたってい噂を言ったとか言ってないとか。
恥ずすぎ。中学生すぎ。


学校内ではそこそこ明るい方でした。
アメトーークの「ザキヤマ&フジモンのパクりたい-1グランプリ」で出てきた芸人をマネしたりとか。
休み時間の度に野球部で集まっていました。
もう1人のお調子者とじゃれ合ってチャンバラごっことかしてましたわ。
大体いつも僕が負ける役なんですが、その勝ち役やつが、その光景を見ていた女子に告られてました。
まじ情けなさすぎるやろ。


中1の思い出はこれくらいですかね。
ではちゃっちゃと中2に行きましょう。
てかもう誰も見てないでしょ。
ちょっと暴露でも書いときますか。
初めてのオカズは篠崎愛でした。
そこからしばらく篠崎愛にお世話になってました。
久しぶりに篠崎愛を見ると、元カノに会ったみたいな感じになります。
では中2へ。





中2は僕の人生の中でトップクラスに楽しかったです。
所謂、陽キャって感じでした。
まずはクラスが最高に良かったです。
だが今までに関わりがある人が多いわけではなかったんです。
おそらく1番の要因は野球部で同じクラスになったやつがイジる方のタイプでした。
僕はめちゃくちゃないじられキャラだったので、それがめちゃくちゃ上手くいってました。
このときの僕の勝負ネタは全力で踊る恋ダンスです。



部活の方もかなり順調でした。
1つ上の代からレギュラーを奪うことは出来ませんでしたが、代打ではかなり経験を積ませてもらいました。
後にヤクルトのドラフト1位でプロに入った奥川投手と対戦させてもらいました。
もちろんめっちゃ三振でした。



1つ上の代はかなり強かったです。
平気で2試合連続ノーヒットノーランとかする投手や、地元の強豪私立に特待生で進学する選手もいました。
確実に北信越大会まで出場すると思っていましたが、県大会の2回戦で呆気なく負けました。
悲しい気持ちと、やっと伸び伸びと野球がやれる気持ちでめっちゃ複雑でした。


新チームになってからは中心選手としてやらせてもらってました。
一応副キャプテンみたいな立ち位置に立たせてもらい、市の選抜チームにも選出していただきました。
練習試合もそこそこ結果が出ていました。
若干天狗にもなったりして。
井の中の蛙の典型例です。


ちなみにこの辺りで乃木坂46にハマりました。
たしか冬くらい。
そこから中学の間は完全に乃木オタです。
ほんとに知識だけなら誰にも負けないくらいあったと思います。
Twitterでも乃木垢という乃木坂限定のアカウントも持ってました。
本当に恥ずかしい。イタい。ダサい。キモイ。
最初の推しは生田絵梨花さんでした。
あと本当に西野七瀬さんに恋してた時期もありました。


乃木坂つながりでラジオも聞き始めました。
最初はアルコ&ピースさんと中田花奈さんがやっていた沈黙の金曜日という番組を聞き始めました。
そこからアルコ&ピース D.C.GARAGE、ハライチのターンとか聞き始めました。


このときから若干、芸人へのあこがれがあったかもしれません。
でも自分がなるなんて微塵も思ってません。
あ、でもこのときもM-1とかは見てました。
銀シャリさんが優勝した時ですね。


中3になりました。
中2があまりにも楽しかったこともあり、本当にクラス替えが嫌でした。
一生このクラスでもいいって心の底から思ってました。
でも別れは必ずやってきます。
残酷な話です。
でもさらに残酷な話がやってきます。


僕の中学は8クラスまでありました。
地元ではマンモス校と呼ばれてます。
なので平気で目も合わせたことないやつが存在します。
まぁそんなのはどうでもいいんです。


1年の頃は4階に、2年の頃は3階にその学年の教室全てがあります。
でも3年になると他の教室の関係上、2階に1~6組の教室が、1階に7、8組の教室があります。
これを見たらわかるように絶対に1階は嫌なんです。
1階になると、他のクラスとの交流が一気にゼロになります。
なのでクラス発表の前に「1階だけは嫌」と友達に豪語していました。
結果、8組になりました。
1階です。
クラス発表の時に膝から崩れ落ちました。
しかもメンバーもなかなかの渋め。


最初の頃は他の野球部がおもしろがるために1階に降りてきてバカにするみたいな光景がありましたが、それも1ヶ月も経てば誰も降りてくることはありませんでした。
しばらくは拗ねてましたが僕も大人です。
このメンバー、この環境で楽しもうとしました。
結果的には意外と楽しかったんですよね。
なんでも気持ち次第なんですね。
結局、卒業式が終わった後、クラスのグループLINEでクラスの中心核みたいなやつが暴言を吐いて集まることも無くなったんですけどね。
その当時は充実してたイメージです。


部活ではなんとか県大会にも出場しました。
連続県大会出場記録があったのでかなりのプレッシャーでした。
4番を打たせてもらっていたこともあり、感じる必要のないプレッシャーに押しつぶされ、3年の間はずっと不調みたいな感じでした。
この頃からプレッシャーに弱いキャラみたいなものが着きましたね。


中学3年生と言えば受験勉強です。
まぁそれなりに勉強して地元の自称進学校に進学しました。
だいたい県内の順位で言えば半分くらい。
かなり勉強してましたが、この頃は乃木坂とラジオにハマり、ながら勉強を続けた結果、勉強してる割には学力は伸びなかったですね。
結局、高校卒業までながら勉強は辞めれませんでした。
これが人生の中で本当に失敗です。


気がつく人もいるとは思いますが、ここまで恋愛の話が一つも出てきません。
中学の時は結局彼女は出来ませんでした。
かなり女子とは仲が良い方ではあったんですが、彼女は出来ないという典型的なダサ少年のパターンです。
恋愛の話は高校編で。


まぁ中学の話はこれらが全てです。
今でも仲が良いメンバーは中学の同級生なので、僕の人生を支える上でかなり重要な3年間でした。
でも今のところ芸人になりそうな要素が1つもないですね。
劇的に変わるのは高校からです。
ではまた高校編で。

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